2020年11月8日礼拝

私たちの戦いとは            ヨシュア記8章10~26節

・旧約聖書には多くの戦いの記録があります。けれどもこれらは現代の私たちに武力戦争を勧めているのではありません。いっぽう、新約聖書には戦争の記録がないように見えます。けれども新約聖書の中には、戦争の記録はなくても、やはり戦いはあるのです。それは武力戦争のような戦いではなく、目に見えない敵、神に敵対する「支配、力、この暗闇の世界の支配者たち」(エペソ6:12)との戦いです。 ・ヨシュア記8章で語られるのは古代イスラエルの民が約束の地カナンで戦ったアイとの二度目の戦いについてです。一度目の戦いで民はアイの逆襲をうけて逃げ帰ってきました。民のひとりアカンが主との契約を破ったからです。にもかかわらず、主はもう一度イスラエルにチャンスをくださいました。ヨシュアに励ましと勝利の約束を与え、戦う方法も示してくださいました。あとはイスラエルの民が神のことばの約束に信頼して従うことができるかどうかにかかっています。これがイスラエルの民の戦いです。クリスチャンの戦いもまた、神のことばに信頼して聞き従うことができるかどうかの戦いなのです。

 

主が戦われる ・ヨシュアとイスラエルの民は主が語られたとおりに、アイとの戦いの準備をします。夜のうちに、ヨシュアは主が語られた通りに、伏兵をアイの町の裏手に派遣します。表と裏からアイの軍隊を挟み撃ちにするためでした。夜が明けると、アイの王と兵士たちは、イスラエルの軍がもう一度攻め上ってきたことに気づき、迎え撃とうとしますが、町の裏に伏兵が潜んでいることには気づきません。イスラエル軍がアイ軍から追われて逃げるふりをすると、アイ軍はおびき寄せられて町の警備を空にしてしまいます。主がヨシュアに語られたのはこの時でした。「あなたの手にある投げ槍をアイの方に伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」18これはモーセの時代の葦の海の奇跡の時と似ています(出エジプト14:16)逃げるイスラエル軍を見てアイ軍は勝利を確信したでしょう。けれどもこの時こそ主が勝利を収められる時でした。主のことばの通りヨシュアが投げ槍をアイに伸ばすと、伏兵たちは軍隊のいないアイに攻め込み町に火を放ちます。そしてアイの軍隊を挟み撃ちにして、イスラエル軍は完全な勝利を収めました。投げ槍は主が戦ってくださることのしるしです。私たちが神に信頼して神のことばに聞き従うところには戦いがあります。この戦いは主が戦ってくださる戦いなのです。

 

 

祈りの手を上げて ・「ヨシュアはアイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し出した手をもとに戻さなかった。」(26ヨシュアのように、主イエス・キリストは最後まで、私たちのためにとりなし祈り続けてくださる方です(ローマ8:34)。神の民の戦いに必要なのは祈りです。祈ることができないことがあるかもしれません。けれどもそのようなときでさえ、罪と死に勝利された王であるキリストは、今も私たちのために天の父の前でとりなし祈り続けてくださっています。だから私たちも祈る力が与えられ、神に祈りの手を挙げることができるのです。私たちは祈りによって神が必要であることを知り、神に信頼することを学び、祈りによって、どんなときでも神に希望を置きながら歩むことができるのです。