2020年3月15日礼拝

キリストに結ばれて 

エペソ人への手紙6章21~24節

 心に励ましを ・エペソ人への手紙の最後の部分です。「私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。」(21ティキコはキリストに結ばれたものとして、パウロとともに福音を伝える喜びも苦しみもともにしてきた仲間の一人でした(使徒204)。ティキコの役割は手紙を届けるだけではありません。「ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。」(22同じキリストに結ばれた者として、エペソの教会のクリスチャンの心を励ますことは、パウロが手紙を書いた目的でもありました。みんながパウロのことを心配しているからです(3:13)。もちろん、パウロにも落ち込む日はあったでしょう。けれども、キリストに結ばれて、それにはるかにまさる励ましと慰めをパウロは神から受けていました。人を励ますことができる人は、励ましを受けている人です。神は慰めに満ちた方です(Ⅱコリ1:34)。エペソやアジアの教会はこの手紙から慰めと励ましを受けたでしょう。それはパウロとティキコが神から励ましを受け、神がパウロとティキコを通して教会を励ましておられるからです。みことばから励ましを受けるとき、神は聖霊とみことばを通して私たちを励ましてくださいます。そして私たちもまた、慰めと励ましを必要とする人を励ますことができるようになるのです。

 

 

 平安と愛と恵みが ・最後は祝福の祈りです。「信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。」(23キリストに結ばれ、同じ天の父の子どもとされたエペソの教会のクリスチャンたちに、ユダヤ人にも異邦人にも、「兄弟たち」とパウロは呼びかけます。私たちが心の奥底から本当に願い求めているのは、「平安と愛」ではないでしょうか。平安と愛は、「父なる神と主イエス・キリストから」与えられます。平安は神との平和です。キリストは十字架によって、神に背を向け神に敵対していた私たちを神と和解させてくださいました。神との平和は愛の交わりの回復です。平安と愛は「信仰」を通して与えられます。私を愛し、いのちをささげてくださったイエス・キリストを心から信頼して、みことばに聴き従う。そこに神の平安と愛は注がれます。 ・「朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。」(24エペソ人への手紙はキリストに結ばれる恵みを伝える手紙でした。神の恵みによってキリストに結ばれることにより、救われ、賜物を与えられ、神の子どもとして成長していく。目指すところは「朽ちることのない愛」でキリストを愛する生き方です。朽ちないからだで死からよみがえられたイエス・キリストは、私たちを朽ちない愛で愛し続けてくださっています。私たちも「朽ちることのない愛」でキリストを愛するように変えられるためです。それは私たちが生涯かけて歩んでいく道です。私たちは朽ちることがない愛と恵みによって、キリストに結ばれています。私たちに必要なことは日々主を信頼し、みことばに聴き従っていくことです。キリストに結ばれて、キリストの似姿に変えられていく人生を、私たちはこれからも歩んでいくのです。