2020年4月12日礼拝

 恐れを超えて  

マタイの福音書28章1~10節

恐れの中から ・世界で最初のイースターの朝、そこにあったのは恐れでした。「さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。」(1二人のマリアはこれまでイエスのことばを聞き、イエスに愛され、イエスを信頼して従ってきましたが、十字架の主イエスはこの世の罪と悪の力に対してあまりに無力に見えました。ところが日曜の朝、予想もしなかったことが起こります。大きな地震が起こり、墓の前の石がわきにころがり、天使がその上に座っています(24)「御使いは女たちに言った。『あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」(5-6なぜ恐れなくてもよいのか。女性たちや弟子たちが恐れと悲しみの中にあるときに、イエスはもうすでに死からよみがえっておられたからです。神は私たちの中に恐れがあることを知ったうえで、恐れることはないと呼びかけてくださる方です。私たちの中にある最大の恐れは死への恐れではないでしょうか。神は私たちが死への恐れの中にあるときにも<恐れるな>と語られます。神は死ぬことがない方です。けれども、死ぬはずのない神が人となって死を味わわれました。イエス・キリストは神の子なのだから十字架の苦しみも恐れなかったということはありません。十字架を前にして、イエスは人として十字架の死への恐れも味わわれました(26:37-39)。その上で、死への恐れを超えて、イエスは十字架の道を最後まで歩み通されました。そして死への恐れだけではなく、死そのものも打ち破ってイエスはよみがえられました。

 

 

起き上がらされて ・「よみがえられた」は直訳すれば<起き上がらされた>です。イエスを死の床から起き上がらせてくださった天の父は、私たちをも恐れから起き上がらせてくださる方です。二人のマリアには、恐れから起き上がり、失意と恐れの中にある弟子たちに主の復活を告げる大切な役割が与えられました。「そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました」(7)イエスを見捨てて逃げてしまった彼らは、ガリラヤから弟子として再出発するのです。二人のマリアは主の復活を信じ、弟子たちのところへ走ります。「すると見よ、イエスが『おはよう』と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。」(9)よみがえられた主イエスは、神のみことばを信じて従っていくとき、私たちに現れてくださる方です。私たちもまた、よみがえられた主に近寄って、主を礼拝します。主が招いておられるからです。「イエスは言われた。『恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。』」(10) イエス・キリストは恐れを超えて、死からよみがえられました。死からよみがえられたイエスに信頼して従うなら、今このとき、<恐れるな>という神の声を聞き、恐れから起き上がって歩くことができます。復活の主イエスとともに、ここから歩き始めることができるのです。