2020年4月5日礼拝

 真理を証しする主  

ヨハネの福音書18章28~40節

私には罪はないという嘘 ・主イエスが十字架に架かられる朝、ユダヤ人指導者はローマ総督ピラトの官邸にイエスを連行します。ところが、彼らは総督ピラトの官邸には入ろうとしません(28)。ピラトは異邦人であり、異邦人に近づくと宗教的に汚れるからです。けれども、彼らのきよさはかたちだけのことでした。彼らが今からしようとしていることは、きよさとはほど遠い、罪のない神のひとり子を十字架につけて殺すという大きな罪だからです。彼らにとっての罪とは外から見える決まりを破ることでした。私たちは自分の外側にあるこの世界にある罪や汚れには敏感です。自分の外側についてはよく見えるのです。けれども自分の内側は見ようとはしません。自分には罪はない。だから救い主は必要ない。これが真理を拒む私たち人間の姿です。この私たち一人一人の罪がイエスを十字架につけたのです。 

 

この世がすべてという嘘 ・ピラトはローマ帝国の総督です。ユダヤの人々に対して権威を持っています。けれどもピラトにとって大事なのは自分の地位を守り、皇帝からの評価を下げず、ユダヤ人の機嫌をうかがうこと、この世での保身だけです(35)。ユダヤ人指導者もまた、ローマ帝国というこの世の力によってイエスを葬り去ろうとします(30)。また群衆もユダヤ人指導者というこの世の力に扇動され、主イエスではなく、強盗で反逆者のバラバの釈放を求めます(40)。この世の力をおそれ、この世の力に従う。それは私たち一人一人も同じではないでしょうか。この世がすべて。この世を愛し、この世に縛られ、この世の力に頼り、この世の力をおそれ、この世にしがみつこうとするのです。嘘偽りである闇を愛し、光を受け入れようとしない。これが私たち罪ある人間の姿です。

 

 

真理である方 ・「イエスは答えられた。『わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。』」36主イエスはこの世に来られました。けれども主イエスの国はこの世のものではありません。神の国は主イエスとともにこの地上に訪れました。「わたしは、真理について証しするために生まれ、そのために世に来ました。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」(37後半)私たちは神に従おうとせず、真理ではなく自分の欲望とこの世の流れに従って生きようとする罪人でした。けれども神は罪のない、ただひとり神に従って歩まれた方に、罪人である私の罪を負わせました。キリストが真理であることがもっともはっきり見えるのは、主イエスの十字架です。主イエスの十字架を見るとき、わたしには罪はない。救い主は必要ない。この世がすべて。そのように生きてきた私が神に立ち返ることができるのです。イエスさま、あなたの十字架によって、私は救われた罪人です。私にはあなたが必要です。イエスさま、あなたの十字架によって、もう私はこの世のものではありません。あなたのものです。そう祈りながら、今この時を主イエスとともに歩んでいきましょう。