2020年7月26日礼拝

 神のひとり子            ヨハネの福音書1章14~18節

 

変わらない愛と約束 ・使徒信条は、救い主イエスをまずはじめに、父である神の「ひとり子」として紹介します。イエスは父である神とともにおられ、父である神に一番愛されている神のひとり子です。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である」(14)。この世界には、美しさ、喜び、すばらしいことがあります。けれども同時に、この世界には人間が罪によって神から離れてしまった結果の、悲しいこと、残念なこともたくさんあります。神の子はそういう世界の中にきてくださいました。「この方は恵みとまことに満ちておられた」(14)「恵み」は神の変わらない愛、「まこと」は、神が約束を忘れずに守ってくださる誠実な方ということです。神の約束とは、神が選ばれた神の民によって、神とともに生きる祝福が世界中に広がるという約束です(創世記123)。「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」(17)。神の変わらない愛と約束は律法によって示されました。律法は私たちが神とともにしあわせに生きていくためにくださった<神の教え>です。けれども、イスラエルの人々は、神のおしえである律法を忘れ、何度も神から心が離れて、まるで神なんていないかのように生きようとしました。けれども神の愛と約束は変わりませんでした。神のひとり子イエスによって、私たちは神の変わらない愛、神の変わらない約束を知ることができるのです。

 

 

信じ、伝えるため ・大勢の人がイエスを見、奇跡を見ました。でも、たとえ目で見たとしても、イエスが神のひとり子だと信じられるわけではありません。多くの人はイエスを見ても信じようとしませんでした。聖書は私たちがイエスは神の子キリストだと信じることができるために書かれました(ヨハネ2031)。ヨハネと弟子たちも、本当に信じられるようになったのは、十字架に架かり、死からよみがえられたイエスに出会ってからでした。やがて弟子たちはイエスから遣わされ、イエスを伝えるようになりました。「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた」(16)。十字架にかかり、死からよみがえられたイエスが弟子たちに聖霊を注いでくださったとき、恵みは弟子たちのなかにあふれました。コップの水があふれるように、イエスの変わらない愛が弟子たちの中にあふれました。だから伝えたいと思うようになったのです。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」(18)。私たちは神のひとり子イエス・キリストの説き明かしによってはじめて、父である神を知ることができるようになりました。そして、イエスは神の子であると信じるなら、私たちも神の子どもになることができるのです。イエスを通して、神の変わらない愛に満たされるとき、私たちはイエスを伝えるようになります。それは世界の祝福のためです。神の約束はいつまでも変わらないからです。