2021年10月10日礼拝

主のもとに・主のもとから    ヨシュア記 18章1~10節

主のもとに集まる ・「イスラエルの子らの全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。この地は彼らに服していたが、」118章でまず語られるのは、シロに「会見の天幕」が建てられ、そこにイスラエルの陣営が移るということ(9)です。「会見の天幕」はイスラエルの民の礼拝の場であり、神と神の民との出会いの場です。なぜなら、神はイスラエルの民をご自身の住まいとしてくださったからです。これまで主の住まいは荒野を移動し続け、民は移動しながら主を礼拝してきました。礼拝の場所がそのときによって変わっていったということです神の住まいは場所ではなく、神の民です。イスラエルの民は約束の地に入り、戦いが終わり、ようやくここで腰を落ち着けて、主の住まいを建てることができる。そんな思いだったかもしれません。会見の天幕の中に置かれるのは、十戒が中に納められた契約の箱です。これからはイスラエルの民は主を礼拝するためにシロに集まることになるのです。シロはしばらくの間、イスラエルの民の礼拝の場所となります。神はこの世界を造られた方、この世界のすべてを治めている方です。けれども、神の民から遠く離れた方ではなく、あえて神の民の中に住むことを選ばれました。とても不思議なことです。神の民の中には罪があります。神は罪を憎まれます。にもかかわらず、神は神の民のただ中に住まわれます。会見の天幕が表すのは、救い主イエス・キリストです。私たちの中には罪があります。にもかかわらず、救い主イエス・キリストを通して、私たちは神に出会うことができるます。だから主のもとへ、礼拝に集まるのです。

 

主のもとから遣わされる ・「ヨシュアはイスラエルの子らに言った。『あなたがたの父祖の神、主があなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。」317章までで5つの部族の割り当てが決まりました。彼らはモーセの時代にすでに受け継ぐ地が約束されていたからです。残りの部族はまだ割り当て地が定まっていませんでした。カナンの地で神のすばらしい祝福を受け継ぐことはもう約束されているけれども、どこを割り当てられるかはまだ決まっていません。約束はある。でも、それがどう実現するかはまだ見ていない。そのような中で主を信じて進んでいくのが神の民です。「さあ、あなたがたはその地を行き巡り、その地について書き記し、私のところに帰って来なさい。ここシロで、主の前で、私はあなたがたのためにくじを引こう。」8)彼らはこれから分たちが治める地がどのような場所なのかをよく調査し、調査が終わったら主の住まいであるシロに戻ってきます。ヨシュアは「主の前」、つまり主の住まいであるシロの会見の天幕でくじをひき、主のみこころを求めます。民はやがてそれぞれの割り当て地に遣わされていくでしょう。私たちも主の日に主のもとに集まります。そしてみことばによって主のみこころを求め、一人ではなく神の民として、主のもとから遣わされていきます。私たちは今この礼拝の中で、イエス・キリストにあって、主がともに住んでくださる祝福を受けています。そして主が治めておられる世界に遣わされていきます。私たちが遣わされていくことは、主の祝福への感謝の応答なのです。