2021年11月7日礼拝

神と人との間に立つ人   ヨシュア記21章1~7,43~45節

祭司とは誰か ヨシュア記21章で語られるのは、祭司の家系であるレビ人への約束の地の割り当てについてです。祭司の家系であるレビ人はイスラエルのすべての初子の代わりです。イスラエルの初子が主にささげられたものとなる代わりに、レビ人はイスラエルの民を代表して、主に仕える者となりました(民数35:12)。ほかの部族はレビ人に祭司になってもらうかわりに、自分たちの家畜や作物の十分の一をレビ人の分け前としてささげたのです。「イスラエルの子らは主の命により、自分たちの相続地から次の町々とその放牧地をレビ人に与えた。」3)とあるように、ほかの部族とは違い、レビ人にはそれぞれの部族の割り当て地の一部が取り分けられるかたちで与えられました。レビ人と祭司の役割は礼拝と幕屋・祭壇での管理の奉仕、賛美と祈り、人々に神のことばを伝えること、裁判などがあります。共通しているのは、彼らが民を代表をして神と人との間に立つ人たちであるということです。私たちにとって、私たちの代わりに、神と人の間に立つ人はイエス・キリストです。イエス・キリストは私たちの祭司として、私たちの身代わりに、十字架の上でご自身のいのちをささげてくださいました。イエス・キリストのゆえに、私たちは神に近づき、神に祈り、神とともに生きることができるようになったのです。

 

教会は祭司の民 同時に、聖書が語っていることは、私たちクリスチャンもまたイエス・キリストによって祭司であるということ、そして教会はイエス・キリストによって祭司の民であるということです。 祭司とレビ人は彼らはみんながシロの幕屋のそばに住んだのではありませんでした。それぞれの部族の割り当て地の一部を受け継ぎました。つまり、レビ人は一つの場所に固まるのではなくて、約束の地の全土に散らされていったということです。これは私たちにも言えることです。私たち一人一人は、住んでいる場所も、生活している家族も、つきあいのある友人も、属している学校も職場も違います。それはそれぞれの場所や地域において、家族、友人、学校、職場で一人一人が、イエスを通して神と人の間に立つ祭司となるためです。私たちの大祭司はイエス・キリストです。そして教会はこの世界に対してイエスを通して祭司となるために選ばれました(1ペテロ2:9)。私がほかの誰かを通してキリストに出会ったのと同じように、私を通してキリストを知る方が私の周りにいるのです。それは私たちを通してそれぞれの場所にキリストがおられるということです。存在、祈り、時にはことばによって私たちはこの世界と神との間に立つ祭司となるために選ばれています。特別きよいから、すぐれているからではなく、キリストのきよさと恵みのゆえです。祭司は神と人の間に立つ人です。私たち一人一人も、イエス・キリストと結ばれることによって、神と人の間に立つ祭司としてそれぞれの地に散らされています。 「主がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。」45)私たちもまた、主がしてくださった「良いこと」を告げ知らせるために、「祭司の国民」(Ⅰペテロ2:9)としてそれぞれの場所に遣わされているのです。