2021年12月19日 クリスマス礼拝

神から生まれ、神とともに  マタイの福音書1章18~25節

神にしかできない方法で イエス・キリストは私たちと同じように赤ちゃんとして生まれました。けれどもイエスのお生まれは普通の赤ちゃんとは違っていました。イエスの母となるマリアはヨセフと婚約していましたが、マリアに新しい命が宿った時、二人はまだ夫婦になる前でした。このままいけばマリアはみんなの前で罰を受けることになります。ヨセフが考えたことは、誰にも知られないようにしてマリアと別れることでした。それがヨセフにできる精一杯でした。そんなとき夢の中に天使が現れました。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。」(20)どうしてそんなことができるでしょうか。「その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」(20)聖霊は神のいのちの息であり、神ご自身です。神ご自身のいのちが誰の力も借りずにマリアの中に宿ったのです。イエスは神にしかできない方法で、神によって生まれるということです。イエスは神のひとり子です。神のひとり子が神にしかできない方法で神によって人として生まれてくださったのです。洗礼を受けて神の子どもになることもまた、神にしかできない方法で神によって生まれるということです。神の子どもになること。それは人にはできないことです。イエスを神のひとり子であると信じるなら、私たちも「聖霊によ」って神から生まれた神の子どもになれるのです。

 

神が私たちとともに では、神のひとり子であるイエスはなぜ私たちと同じ赤ちゃんとして生まれたのでしょうか。「このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。」(22)これはイエスの誕生が神の約束だったということです。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。」(2223)<いっしょにいる>ことは人間同士であってもそんなに簡単なことではありません。ましてや、神が私たちといっしょにいてくださる。それは当たり前のことではなく、ありえないことです。なぜなら私たちの中には神抜きで生きようとする罪があるからです。神には罪がなく、神は罪を憎まれます。神が罪ある人間である私といっしょにいてくださるためには神ご自身が人として、私と同じような人間として生まれてくださることがどうしても必要でした。イエスが生まれた場所は家畜小屋の飼い葉桶でした。天におられた神がこの地上のもっとも低いところで生まれてくださった。それはイエスがすべての人のための救い主だからです。天使はヨセフに告げました。「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」21)神のひとり子が私たちと<いっしょにいる>ことを選ばれたのは、私たちの罪を赦し、罪から救うためです。イエス・キリストは十字架の死によって私たちの罪の身代わりとなり、私たちに神とともに生きる新しいいのちをあたえるために、死からよみがえられました。イエス・キリストによって、神は私たちとともにおられます。だから生きていくことには意味があります。私たちも神から新しく生まれ、神とともに生きていくのです。