2021年1月3日礼拝

 旅する神の民  詩篇121篇

創造主の助け ・詩篇121は「都上りの歌」、ユダヤ人が都エルサレムへ巡礼の旅をする内容の賛美の歌です。エルサレムの都は高い丘の上にあります。エルサレム巡礼の旅では坂道を上らなければなりません。山の旅には強盗などの大きな危険があります。けれども敬虔なイスラエルの民は年に三度の祭りの時期にあえて旅にでました。主を礼拝するためです。わざわざ旅にでなければ、危険な目に遭う心配はないかもしれません。けれども神を知ることも神に近づくこともないのです。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」1-2 高い山は古代オリエントでは異教の神々が礼拝される場所でした。異教の神々があらわすのはこの世の力です。旅人の助けは山そのものからくるのではありません。旅人の助けは山はもちろんのこと、この世界のすべてを造られた方からきます。私たちのクリスチャンとしての生涯それ自体がこの地上での巡礼の旅人としての生涯です。新しい年も、私たちの助けはこの世界を造られた唯一の神である主からきます。主に従う道には創造主の助けがあるのです。

 

全能の主の守り ・「主はあなたを守る方。主はあなたの右手をおおう陰。昼も 日があなたを打つことはなく 夜も 月があなたを打つことはない。」5-6旅の途中、昼には厳しい日差しがあり、気力と体力を奪います。「月があなたを打つ」とは旅がもたらす精神的な不調を意味します。当時は長旅の疲れと不安から精神的な病になることもありました。主に従う道には、昼も夜も全能の主の守りがある。けれどもそれは困難を経験しないということではありません。困難の中を通ること、病や、疲れを覚えること、信仰の落ち込みを経験することもあるかもしれません。そのような中でも「主は あなたの足をよろけさせず」3とは、困難を経験したとしても神から引き離されることはないということです。困難そのものよりも、私たちにとってもっとも大きな危険は悪しき力です。困難にあうとき、悪しき力は私たちをが神から引き離そうとします。けれども私たちが主に従う道を歩むなら、全能の主は私たちが困難にあうときにも。私たちを悪しき力から守る方です。

 

 

主とともに旅をする ・私たちの旅は主とともに歩む旅です。なぜなら、天に向かって旅する旅人、それはまず主イエスご自身だからです。幼い日のイエスはヨセフとマリアに連れられてエルサレムへ旅をしました。さらに救い主としての働きを始められてから、イエスは弟子たちを従えてエルサレムに上られました。そしてエルサレムで十字架と復活によって救いのわざを成し遂げ、天に昇られました。旅人を守る方は、神の民である「イスラエルを守る方」4です。主は神の民である教会を守る方です。羊飼いが羊の群をいのちがけで守るように、主は教会を守られます。「主は すべてのわざわいからあなたを守り あなたのたましいを守られる。」7どんなときにも主は主に従う民を守られます。私たちが主に従う道は、神を礼拝し、日々みことばに聞き従う道です。新しい年も、どんなときも主に信頼し、主に従っていきましょう。