2021年2月21日礼拝

 明日へ向かう力   詩篇124篇

主がともにおられたから ・「もしも 主が私たちの味方でなかったなら。/さあ イスラエルは言え。」(1)旧約の時代のイスラエルはいつでも、まわりを大国に囲まれていました。領土も狭く民族的にも宗教的にも少数者です「もしも 主が私たちの味方でなかったなら/人々が敵対してきたとき/そのとき 彼らは私たちを生きたまま/丸吞みにしていたであろう。/彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき/そのとき 大水は私たちを押し流し/濁流は私たちを越えて行ったであろう。/そのとき 荒れ狂う水は/私たちを越えて行ったであろう。」(2-5)古代の中東世界では海はとても恐ろしい場所として考えられていました。エジプト脱出、荒野の旅、約束の地カナンでの戦い。弱くて小さなイスラエルの民は、本当にいつどの時点で海に呑まれるように滅ぼされていてももおかしくありませんでした。不安と恐れの中でイスラエルの民はいつでも主に頼ったわけではありません。彼らは神に不平を言い、神に信頼することをやめ、主から心が離れ、ほかの神々に頼るようになったのです。にもかかわらず、主はイスラエルの民を見捨てず、彼らとともにいることをやめることはありませんでした。「ほむべきかな 主。/主は私たちを 彼らの歯の餌食にされなかった。鳥のように 私たちのたましいは/仕掛けられた罠から助け出された。/罠は破られ 私たちは助け出された。」(7)たびかさなる危険と恐怖の中でも彼らが滅びることなく守られたのは、主がイスラエルの民の側にともにいてくださったからです。 ・現代を生きる私たちは救い主イエス・キリストによって、私たちとともにおられる神を知りました。イエス・キリストがこの世界に人として来られ、十字架と復活のみわざを成し遂げられたのは、主が私たちとともにおられ、私たちを救う神でいてくださったからです。 ・困難の中にいるときには、主がともにおられることを考えることすらできないこともあります。あとになってようやく気づくことも多いです。あとになって、神はあのときでさえ私のそばにいてくださったのだ。困難の中で主に信頼することを学んだ経験は私たちの支えとなります。

 

 

過去も未来も ・多くの人は将来に安定を求めます。けれども神が私たちを導かれる道は安定への道であるとは限りません。神が導かれる道は神を知り、神に信頼し、神とともに歩むことを通して、家庭も教会も人生も神が望まれる本来の姿に変えられていくことです。イスラエルの民は困難を経験することによって神を体験し、苦難を通して神に信頼することを学びました。「私たちの助けは/天地を造られた主の御名にある。」(8)主の御名は主がそこにおられることをあらわします(申命記16:11)。世界のすべてを造られ、すべてを治めておられる神がどんな危険の中でも、私とともにいて私を助けてくださる。わたしたちのこれまでの歩みもそうでした。過去への感謝と賛美は未来への確信につながります。私たちは未来をまだ見ていません。未来のことはわかりません。だから不安もあります。怖くもあります。けれども、「天地を造られた主」はここまで私たちとともにいてくださったのです。だからこれからも主は私とともにおられ、私を助けてくださる。主の恵みを思い起こし感謝することは、明日へ向かう力となるのです。