2021年3月21日礼拝

主に信頼して生きるなら    

詩篇127篇

主への信頼を忘れた働きはむなしい 「主が家を建てるのでなければ/建てる者の働きはむなしい。/主が町を守るのでなければ/守る者の見張りはむなしい。」(1) ここで言われているのは仕事と働くことについてです。都エルサレムでは多くの人が、神殿や城壁を建てる働き、城壁で都を守るための警備の働きについています。主が家を建てるとは、主がその豊かな知恵と配慮と創造性によって、私たちの生活を建て上げてくださるということです。もちろん、私たちにも役割があります。働くことは大切なこと、努力を必要とすることです。それはお金を稼ぐ仕事だけにはとどまらず、家の中の仕事、家族の世話をすること、身体に気をつけること、学ぶこと、子どもにとっては発達すること、ボランティア、教会の奉仕も大切な働きです。けれども、つまり主に信頼することを忘れるなら、私たちの働きは本当に価値のあるものとはなりません。仕事で成果や利益を上げることは大事なことです。けれども、主に信頼することを忘れて仕事で成果や利益を上げること自体が生きる目的になるなら、仕事や働き自体が偶像になってしまう危険があります。主が私たちに与えてくださるのはこの世で言われるような成功であるとは限りません。けれども、主に信頼して歩むならそれはむなしい歩みにはなりません。祝福が約束されているからです。

 

 

主に信頼して生きる人に与えられる祝福 

①眠り 「あなたがたが早く起き 遅く休み/労苦の糧を食べたとしても それはむなしい。/実に 主は愛する者に眠りを与えてくださる。」(2)眠ることは食べることと同じく毎日必要なもので、神からの贈り物です。いくら多く働いて豊かな収入が増えても、主への信頼を忘れるなら、心は休まらず不安の種は増えるばかりです。眠ることは休むことです。これは安息日に通じます。眠りは私が何もしていないとき、何もできないときでも主が守ってくださり、神の手の中にある平安を表します。主に信頼する人に主は主の守りによる平安と安息を与えてくださいます。 

②いのちの祝福 「見よ 子どもたちは主の賜物/胎の実は報酬。/若いときの子どもたちは/実に 勇士の手にある矢のようだ。/幸いなことよ 矢筒をその矢で満たしている人は。/彼らは門で敵と論じるとき 恥を見ることがない。」(3-5)古代イスラエルにおいて、子孫は神の民のいのちが受け継がれる唯一の道であり、今のような公的な社会保障もない中では、家族が多いことがそのまま老後や危機の保険となりました。けれども、新約の時代を生きる私たちが聞くべき使信は、家族が多いことが祝福だということではありません。なぜなら、主イエス・キリストによって、神の民とされる祝福は血筋や人種や国籍を越え、主イエスを信じるすべての人に受け継がれることになったからです。<いのちの祝福>は、新約の教会においては、主イエスを信じる信仰を通して神の民のいのちが受け継がれることにほかなりません。どのように働くか。問われているのは、どのように生きるかという私たちの生き方です。私たちは必要なことは主への信頼です。主に信頼して生きる者に、主は平安といのちという永遠に価値のある祝福を与えてくださるからです。