2021年4月18日礼拝

過去も未来も   詩篇129篇

苦しみにも打ち負かされない 「『彼らは 私が若いころからひどく私を苦しめた。」/さあ イスラエルは言え。/『彼らは 私が若いころからひどく私を苦しめた。』1-2神の民には苦しみの中を通ることがあります。神の民を苦しめる力は、神ご自身に敵対する悪の力です。悪の力は神の民を神から引き離そうとする力として働きます。イスラエルの民のまわりにはいつも強くて豊かな民や国々がありました。そこには常に緊張と同時に誘惑もありました。まわりの国々は神など信じなくても強くて豊かだったからです。敵の攻撃は神の民の信仰を揺さぶるような攻撃でした。けれども神の民が思い起こすのは、苦しみはあったけれども、その苦しみに自分たちは決して打ち負かされてしまうことはなかったということです。「しかし 彼らは私に勝てなかった。/耕す者たちは私の背に鋤をあて/長いあぜを作ったが。』」2-3新約の民である教会にも苦しみはあります。けれども、教会が悪の力に打ち負かされてしまうことはありません(Ⅱコリント4:10

 

主は正しい方 「主は正しくあられ/悪しき者の綱を断ち切られた。」4苦しみの中でも神の民が打ち負かされてしまうことがなかったのは、主は正しい方だからです。正しさは神のご性質であり、神の正しさは私たち人間との関係において明らかになります。人は神との正しい関係に生きるように造られましたが、人は罪によって神との正しい関係を失いました。けれども、神は私たちがもう一度神との正しい関係に戻ることができるように救いの道を示されました。救われるとは神との正しい関係に入るということです。私たちは神が正しい方であることを、経験を通して知ります。意味のない苦しみはありません。主は私を苦しみから救い出してくださった。悪の力に勝利してくださった。そのような経験を通して、私たちは主は正しい方であると知るのです。

 

 

主の愛に応えて生きる 過去における主の恵みへの感謝は将来における主への信頼につながります。「シオンを憎む者はみな/恥を受けて退け。」5主は正しい方、悪を正しくさばかれる方です。神に敵対する悪しき力に対して、神は正しいさばきを下されます。「シオンを憎む者」は神の民に敵対する者だけとは限りません。神の民自身が主を憎む者になることもあるからです。「彼らは 伸びないうちに枯れる/屋根の草のようになれ。/そのようなものを刈り取る者はつかまず/束ねる者も抱えることはない。/通りがかりの人も/『あなたがたに主の祝福があるように。/主の名によって祝福あれ』/と言うことはない。」6-8イエス・キリストは神に敵対しようとする私たちの罪の身代わりに、十字架で神のさばきをうけてくださいました。私たちが主の祝福をこの世界にもたらす本来の生き方を取り戻すためです。私たちの過去も未来も主のものです。私たちに必要なことは、救いの恵みを思い起こし感謝する中で、これからの歩みも主にゆだねることです。主は正しい方です。どんなときも私たちを惜しみない愛で取り囲んでくださる方です。主の愛に応えて生きるなら、私たちは主の祝福を受け、主の福福をこの世界にもたらす者となることができるのです。