2021年4月4日礼拝

私たちのための復活  マルコの福音書16章1節~8節

 神のことばによる証し ・週の初めの日の早朝、三人の女性がイエスの墓へと急ぎます。イエスの遺体に香油を塗るためです。見ると大きな石はすでに転がしてあり、墓の中には真っ白な長衣を着た青年が座っています。そして驚く三人に「驚くことはありません。」「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」()と告げました。主はよみがえられました。イエスの復活は神の奇跡です。信じられないような、驚くべき出来事です。彼女たちはイエスの復活の目撃者となります。けれども彼女たちにまず必要だったことは、復活の主に出会う以前に、「あの方はよみがえられました」という神のことばによる証しを信じることでした。私たちは主の復活をこの目で見ることはできません。けれども主の復活を信じるために最も大切ななことは、神のことばの証しを信じることなのです。

 

もう一度立ち直るため ・「青年」は三人に「さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』と。」()と命じます。「弟子たちとペテロ」とあえてペテロの名が呼ばれています。三度も主を否んだペテロを、イエスはお見捨てにはなりませんでした。弟子たちはイエスを見捨てて逃げてしまいました。彼らの誰もが、もう自分は主イエスの弟子にはふさわしくない。そう思ったはずです。けれども、ガリラヤでもう一度彼らと会うとイエスが約束してくださったことは、大きな挫折と失望を経験した彼らが、再びイエスの弟子として再出発できるということです。私たちもまた、キリストの弟子となるために選ばれました。けれども、〈わたしについてきなさい〉この呼びかけをすぐに忘れてしまうのです。イエスはそんな私たちを赦すために十字架で死なれ、私たちをもう一度キリストの弟子として立ち上がらせるために、死からよみがえられたのです。

 

恐れを越えるため  ・「彼女たちは墓を出て、そこから逃げ去った。震え上がり、気も動転していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」() 女たちの恐れは、聖なるものに触れた恐れであるとともに、イエスがおられないことへの恐れ、告げ知らせることへの恐れだったでしょう。これは初代教会のクリスチャンたちの状況とも共通しています。イエス・キリストはたしかによみがえられました。けれども、それですべてが解決したわけではありません。クリスチャンとして生きていくことの困難や恐れはあったでしょう。私たちにとってもそうです。イエスはよみがえられました。けれども、挫折や失敗、失望を経験することがあります。恐れや不安で前に進めなくなることもあります。これからもあるでしょう。そのような中でも、復活の主は先立って進んでおられ、私たちの人生の歩みの中で一人一人に出会ってくださるのです。主の復活は私たちのための復活です。私たちが神のことばを信じ、もう一度立ち直り、恐れを乗り越えてキリストを証しする生き方ができるようになるために、主イエスは死からよみがえってくださったのです。