2021年5月23日礼拝

私たちの心に働かれる聖霊  使徒の働き2章36~39節

みことばによって心に触れる 今日は聖霊降臨日です。イエスがよみがえられてから50日目、天からの聖霊を注がれて、弟子たちは変わりました。弟子たちを代表してペテロは聖霊の力によって力強く、イエスを証ししました。「ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った。」36-37神のことばは「剣よりも鋭」いことばです。聖霊は神のことばを頭だけではなく心に語ります。人々はそれまでは、イエスも、イエスの十字架も自分たちとは関係ないと思っていました。けれども、神の子を十字架につけたのは自分たちなのだと気づきました。そして彼らだけではなく、すべての人がイエスの十字架に責任があるのです。なぜなら、すべての人に罪があるからです。私たちの罪がイエスを十字架につけたのです。聖霊はみことばによって私たち一人一人の心に触れてくださいます。

 

心を神に立ち返らせる ペテロは心を刺された人たちに救いの道を示しました。「そこで、ペテロは彼らに言った。『それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」38)みことばは「それぞれ」つまり一人一人に語られ、聖霊は一人一人に働きかけます。「悔い改め」るとは、心を入れ替えて神に立ち返るということです。イエスの十字架は私とは関係ないと思っていた古い心を、イエスの十字架は私のためだったと信じる新しい心に入れ替えるのです。神の方を向かず、神を自分から遠ざけていた罪は、イエスの十字架の血によって赦され、きよめられます。洗礼という儀式によって罪が赦されるのではありません。罪の赦しのために必要なことは悔い改め、心を入れ替え、神の方を向くことです。洗礼は悔い改めのしるしであり、イエス・キリストの十字架の血によって罪が洗い流され、赦されたことのしるしです。だからこそ、洗礼はイエス・キリストの名による洗礼なのです。

 

 

心にイエス・キリストの恵みを注ぐ 「この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」39)悔い改めとそのしるしとしての洗礼を通して罪の赦しを受けた人は新しい人生を歩み始めます。その人には弟子たちと同じように聖霊が注がれるからです。聖霊は私たちの心にイエス・キリストの恵みを注ぎます。私たちは聖霊を通して注がれる恵みによって罪赦され、恵みによってイエス・キリストのように造り変えられます。時代を超えて、イエス・キリストが選んだすべての人に聖霊は与えられます。聖霊は私たち一人一人の心に働かれます。私たちに求められているのは、聖霊の助けによって日々心で神に立ち返り、日々新たに心で主の恵みを味わい、恵みに応えていく人生です。主は聖霊において、私たちの心をご自身の住まいとしてくださったのですから。