2021年5月9日礼拝

主は真実な方だから   詩篇132篇1~10節

主が王として治められる 「主よ ダビデのために/彼のすべての苦しみを思い出してください。」(1)ダビデはエルサレムを征服しました。彼の願いはエルサレムに主の住まう家を建てることでした。けれどもエルサレムには大事な何かが足りませんでした。主の契約の箱です。イスラエルの民にとって契約の箱は神の臨在ときよさをあらわすしるしでした。けれどもサムエルが預言者になった頃、箱はペリシテ人によって奪われてしまいます。ダビデは戦いに勝利して箱を奪い返しますが、途中でウザが箱をつかんだため主に打たれて死にます(Ⅱサムエル6)。箱は3ヶ月エルサレムの外に置かれることになりました。「彼は主に誓い/ヤコブの力強き方に誓いを立てました。」2)ダビデの誓いは、箱をエルサレムに迎えるまでは、自分の家の天幕にも寝床にも入らず眠らないという誓いです。主はダビデよりも敵よりも「力強き」王です。イスラエルを治める王は主ご自身です。主が王として治められることによってはじめて、ダビデはイスラエルの指導者として立つことができるのです。主はこの世界を今も治めておられる力強い王です。

 

主が私たちのうちに住まわれる いよいよ契約の箱がエルサレムに移されるときがきます。「今や私たちは エフラテでそれを聞き/ヤアルの野でそれを見出した。/さあ 主の住まいに行き/主の足台のもとにひれ伏そう。」6-7)都エルサレムに上られるのは主ご自身です。だから私たちも都に上り、いっしょに主を礼拝しようと呼びかけるのです。礼拝の喜びは主にお会いする喜びです。幕屋と契約の箱が示すのはイエス・キリストです。聖霊によって私たちのうちに住んでくださるイエス・キリストによって、私たちは主がともにおられることを知ることができます。主がエルサレムを住まいとされたように、イエス・キリストによって、神は私たちの教会、私たちの心と体に住んでくださいます。私たちの祈りと賛美、神のことばが語られ聞かれる交わりを主が住まいとしてくださるのは、イエス・キリストのきよさと正しさが私たちをご自身の住まいとしてきよめつづけてくださるからです。だから私たちは大胆に神に近づくことができるのです。礼拝において主を喜ぶことは私たちの力となります。

 

 

主に従う民を主は導かれる 「主よ 立ち上がってください。/あなたの安息の場所にお入りください。/あなたと あなたの御力の箱も。/あなたの祭司たちが義をまとい/あなたにある敬虔な者たちが喜び歌いますように。/あなたのしもべダビデのために/あなたに油注がれた者を退けないでください。」(8-10これは祈りです。イスラエルを雲の柱、火の柱によって導いてくださった主が「立ち上がって」イスラエルを導いてくださるように。また王や祭司をはじめとするイスラエルの民が忠実に主に従って歩むことができるようにという祈りです。教会は祈りつつ主に従う神の民です。いやいや従うのではありません。主はどんなときも私たちを王として治めてくださる方、私たちを愛し守られる方、私たちの中に住んで助けてくださる方だからです。主の真実は変わることがありません。私たちのただなかにおられる主を喜び、主に信頼しましょう。どんなときもこの方に喜んで従う民を、主は力強く導いてくださるのです。