2021年6月27日礼拝

神の愛の勝利  ローマ人への手紙8章34~37節

すべてはキリストのもの 使徒信条は、イエス・キリストが「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」と告白します。神の右とは、同じ高さ、同じ位ということです。つまり、イエスは天におられ、天の父と同じ全能の神としてこの世界のすべてを治めておられるということです。すべてはキリストのものです。 ・私たちは神から離れた罪の中にいました。イエス・キリストがこの地上にきてくださったのは、私たちとこの世界を罪と死から救うためです。「だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。」(34)私たちには神に背を向け、自分が神のようになって生きようとする罪があります。洗礼を受けてクリスチャンになったら罪がなくなるわけではありません。だから時に自分で自分を責めます。また悪魔が私たちにささやくかもしれません。<おまえはみじめな罪人なんだ>と。私たちは自分の力では、神から離れさせようとする罪の力に打ち勝つことができません。けれども、忘れてはいけないことがあります。イエス・キリストが今「私たちのために、とりなしていてくださる」ということです。イエスが私のために味方になって、終わりの時まで、天の父の前で弁護してくださるのです。この世界のすべても、私たち一人一人も、すべてを治めておられるキリストのものです。

 

どんなときもキリストの愛の中に 「だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。こう書かれています。『あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。』」35-36)私たち一人一人はキリストのものです。けれども、信じていても苦しむこと、悩むことはあります。そして神の民、クリスチャンだけが味わう苦しみがあるのです。ここに誘惑があります。神から離れてしまう誘惑です。「しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。」37)誰も私たちを神の愛から引き離すことはできません。それほど堅い絆で、私たちはキリストとしっかりと結びあわされているのです。苦しみや悩みがあったとしても、キリストに結びあわされているなら、私たちは<勝利者以上の勝利者>です。罪もしも、すべてに勝利された十字架と復活のイエスによってです。「圧倒的な勝利者」は、どんなときも神の愛から引き離されることはないと信じることができる人です。信じる力を与えるのは私たちの中に住んでおられる聖霊です。私たちはぶどうの木の枝のようにキリストによって神の愛につながっています。キリストにつながるなら、私たちも愛することができるように変えられていきます。神の愛は私たちの中で実を結ぶからです。キリストはどんなときも私たちを愛によって取り囲んでくださいます。私たちも愛する人へと変えられるためです。天におられるイエス・キリストは神の愛の勝利です。