2021年7月11日礼拝

日々神の民として生きる  ヨシュア記11章1~20節

主の約束と励まし ヨシュアとイスラエルの民はカナン南部の戦いに次々と勝利を収めると、北部の王たちに警戒が広がります。11章はカナン北部との戦いです。「ハツォル」(1)はカナンの地でもっと大きく強い軍隊をもつ都市国家でした。ハツォルの王を中心に多くの民族が集まって連合軍を組織し、北の果てヘルモン山のふもと「メロムの水」(5)でイスラエルと戦うための陣を敷きました。彼らは馬や戦車を備え、明らかにイスラエルより力も装備も整った軍隊です。人間的に見ればどう考えてもイスラエルには勝ち目はないように見えます。けれども、これは主の戦いです。「彼らを恐れてはならない。明日の今ごろ、わたしは彼らをことごとく、イスラエルの前で刺し殺された者とするからだ。あなたは彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼け。」6主は私たちの恐れをご存じです。<恐れない>とは恐れをなかったことにすることではなく、恐れのあるときに<恐れるな>と語られる主に信頼することです。「主がそのしもべモーセに命じられたとおりに」15)とあるように、主は荒野での40年間、モーセを通してみことばを語り続けてくださいました。ヨシュアも若いときにはモーセを通して主のことばを聞き続けたのです。私たちにとってのモーセ、ヨシュア、それはイエス・キリストです。旧約の神の民がそうであったように、私たちが神の民として生きていこうとするなら、そこには必ず戦いがあります。この世界や社会のあり方そのものが、私たちに神の民ではない生き方の方に誘うからです。けれどもこの戦いは勝つか負けるかわからない戦いではありません。私たちには勝利の約束があります。そして主は今日も<恐れるな>と励ましてくださる方です。救い主イエス・キリストによってです。私たちは主の約束と励ましを受けて、互いに励ましあいながら神の民としての戦いを戦うのです。

 

 

主に立ち返り、主に従う ヨシュアとイスラエルの民は主が命じられた通りに戦い、勝利を収めました。カナンの町々は主が命じられたように滅ぼされます。「彼らの心を頑なにし、イスラエルに立ち向かって戦わせたのは、主から出たことであった。それは、彼らを容赦なく聖絶するため、主がモーセに命じられたとおりに彼らを根絶やしにするためであった。」20)カナンの王や人々にも主に立ち返るチャンスは何度もありました。けれども彼らは自分たちの力を誇り、主の力を知っても心を頑なにし、主に立ち返ろうとしませんでした。主はそんな彼らの心をますます頑なにされました。このことによって、エジプト脱出がそうであったように、カナンの地で主の勝利のみわざはイスラエルの民の心に印象深く刻まれることになりました。同時にこれは警告でもあります。心が頑なになるのはカナンの王たちだけではないからです。そのためにヨシュアの先祖たちは約束の地に入ることができませんでした。主イエス・キリストは私たちの頑なな心を打ち砕くために十字架で死なれ、私たちに新しい心を与えるためによみがえり、聖霊を注いでくださいました。私たちに必要なことは聖霊の助けによって、日々主に立ち返り主に従うことです。それが神の民として生きるということです。そのために主は日々約束と励まし与え続けてくださるのです。