2021年7月18日礼拝

神が王であるなら ヨシュア記11章21~12章24節

平和と安息 ・「そして、その地に戦争はやんだ。」11:2311章最後から12章に記されているのはカナンの地での戦いの終わりです。主によって平和と安息が訪れました。です。平和は主である神ご自身が王としてすべてを治めてくださるところにあります。戦いが終わったことによって、平和と安息がカナンの地に訪れました。けれども、このときイスラエルの民に与えられた平和と安息はいつまでも続くものではなく、一時的なものでした。神が私たちに約束してくださっているのは永遠の安息、完全な平和です(ヘブル4:810)。この世界は安息と平和を待ち望んでいます。それは切実な願いです。けれども、私たちに本当に必要な平和は、人と人との平和、国と国との平和以前に、神と人との平和です。私たち人間は罪によって、神を王として生きることを拒み、神との関係を破壊しました。もっとも必要なのは神と人との和解という平和でした。イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、私たちが神との平和を生きるために死からよみがえられました。神の平和のご計画は今も進行中です。私たちが神の民であるなら、私たちにも戦いがあります。それは目に見える人や国ではなく、目に見えない敵である悪魔、私たち自身の罪との戦いです。この戦いは信仰の戦いです。神の民を通して、神は平和を実現されます。イエス・キリストによって、神は私たちに平和と安息をお与えになる王です。

 

まことの王のみに従う 「ヨルダンの川向こう、日の昇る方で、アルノン川からヘルモン山までの全東アラバにおいて、イスラエルの子らが討ち、占領した地の王たちは次のとおりである。」(1) 12:16で語られているのはヨルダン川の向こう岸、東側、ヨシュアがリーダーになる前、モーセの時代の戦いです。「ヨルダン川のその反対側、西の方で、レバノンの谷のバアル・ガドから、セイルへ上るハラク山までで、ヨシュアとイスラエルの人々が討ったその地の王たちは、次のとおりである。」77節以降はヨルダン川のこちら側、約束の地に入ってからの戦いです。ヨシュアがリーダーになってから、いくつもの戦いのすべてにイスラエルは勝利しました。それぞれの町で、王は絶対的な権力を持つ独裁者でした。町の住民は王の命令に服従しなければなりません。けれども、すべての王は主によって滅ぼされました。私たちの生きる道は地上の力に従うところにはありません。地上の力は私たちを死と滅びから救うことができません。けれどもイエスは死からよみがえられました。十字架と復活によって、イエスが私たちを救う王であることがはっきりと示されたのです。私たちは本当の王を知りませんでした。王を拒み、自分を王として、あるいはこの世のむなしい王に従って歩んでいました。私たちを愛し、ご自身のいのちをささげてくださったキリストによって、私たちは本当の王がだれであるのかを知りました。平和は神が王であるところにあります。神が王であるなら、私たちは王である神のものとされた神の民です。私たちに必要なことは王である神に従うことです。聖霊の助けによってみことばに応えることを通して、王である神に従って歩んでいく。そこに本当の平和と安息があるのです。