2021年8月22日礼拝

願い求める祈り        マタイの福音書7章7~11節
天の父に毎日願い求める 「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」7-8)この有名な聖書のことばは6章との関わりの中で見ていく必要があります。主イエスは「まず神の国と神の義を求めなさい」「明日のことは心配しなくてよいのです」と語られました(6:34)。明日のことは思い煩うなと言われます。私たちにできることは今日この日を生きること。明日のことは神の手の中にあるからです。神の国・みこころとは、神はこの世界と私たち一人一人にすばらしい救いの計画を持っておられるということです。救い主イエス・キリストを通して、世界と私たちが神が望まれる姿へと回復していくこと。この神の救いのご計画は今このときも進行中です。そして必ず完成します。私たちがまず求めるのは神の国と神の義です。その上で、求めなさい。そうすれば与えられますと主は言われたのです。求める・探す・たたく、それは私たち神の子どもとされた者が天の父に願い求めて祈ることです。意味するところは天に父に信頼してねばり強く祈り続けることです。<主の祈り>に「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」とあるように、小さなことでも毎日求めてよいのです。大事なことは明日のことは心配しないということ。祈り続けることは忍耐がいります。だから聖霊の助けを必要とします。けれども決してむなしい忍耐ではありません。求め続けるなら、天の父は必ず与えてくださると、主イエスご自身が約束してくださっているからです。

 

 

天の父は良いものをくださる 天の父に願い求めることを主イエスはたとえを使って話されました「あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。」9-11私たちに必要なことは、お父さんにパンや魚を願う子どものように天の父のところに行くことです。けれども注意したいことは、すべてが私の願ったとおりになると言うことではないというとです。だから主イエスは語られるのです。「それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。」11)私たちは自分にとってよいものが何かをすべてわかっているわけではありません。ですから、私の思い通りにしてほしい、という以上に、良いものを与えてくださる天の父に信頼してゆだねる思いが必要です。天の父に願い求める人は、祈りによって願いが叶うこと以上に、祈り求める中で神との交わり、神との関係が深められていく経験をします。祈り求めた結果が私の願ったとおりでなかったとしても、天の父は良いものをくださる方であると知るのです。主イエスが教えてくださったのはまず神の国と神の義を求めること、明日のことを心配せず、天の父に信頼して子どものように毎日願い求めることです。祈る人は今日を生きる人です。天の父は私のために一番良いものを知っておられます。だから信頼して今日も願い求めるのです。