2021年8月29日礼拝

とりなす祈り        ヨハネの福音書17章20~23節
イエスがとりなしてくださる ・私たちはなぜとりなし祈るのでしょうか。旧約聖書の時代、人々のためにとりなし祈るのは祭司の役割でした。祈りとは神に近づくことです。けれども人間には罪があります。罪ある人間が神に直接神に近づくことはできません。祭司が民のためにとりなし祈るとき、民のために動物のいのちがささげられました。私たちの祭司はイエスです。救い主イエスは私たちのために十字架の死によってご自身のいのちをささげてくださいました。イエスの十字架こそが私たちのためのとりなしでした。ヨハネ17章はイエスの<大祭司の祈り>と呼ばれます。十字架を前にして、イエスは天の父に、ご自分のため、弟子たちのため、さらにこれから生まれる教会のためにイエスは祈られました。「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。」(20)つまり、十字架を前にして、イエスは私たちのためにも祈られたということです。十字架で死なれ、死からよみがえられたイエスは今も天の父の右で祈っていてくださいます。私たちがとりなし祈るのは、イエスが私のために祈られ、今も祈っていてくださるからです。

 

 

イエスとともに祈る ・「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。」21) イエスが教会のために祈られたのは、教会が一つになること、そのことを通してこの世界が神を知り信じることです。天の父と御子は一つです。天の父は御子を誰よりも愛しておられます。一つであるとは、そこに愛があるということです。教会が一つになることは、私たちを愛してくださっている方にしっかりと結ばれることから始まります。天の父と子であるイエスは愛によって結ばれ一つです。キリストと愛によって一つとなることができる。それが救われるということです。天の父が御子を愛する愛、それほどの愛で私たちは愛され祈られています。私たちは愛によって一つにされるために選ばれ、救われました。そして私たちが一つとされ続けるためにイエスはとりなし祈り続けてくださっています。だから私たちも互いのために、世界のためにとりなし祈るのです。 ・私たちが愛によって一つとされるのは、この世界がイエスを知り、信じるためです。「またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。」22)神の「栄光」は天の父と御子が一つであるところにあらわれます。私たちはイエスを通して神のすばらしさを知ります。イエスは私たちにも栄光を与えてくださいました。私たちがキリストに結ばれ互いに愛し合うことを通して、神を知る人々が起こされるということです。「わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです」23)とりなし祈るとは、イエスとともに祈ることです。私たちの祈りはイエスとともに祈る一つの祈りです。だからイエスとともに祈りましょう。私たちを一つにしてください。私たちを通して世界があなたを知り、信じることができるようにしてください。