2021年9月5日礼拝

年老いてもなお         ヨシュア記13章1~7節
主は真実な方 ・ヨシュア記は13章から後半部分に入ります。前半は約束の地カナンでのイスラエルの民の戦いでした。後半では、戦いによって占領した土地の分割について語られます。カナンの地の分割は、イスラエルの父祖アブラハムに与えられた約束の実現でした(創17:8)。イスラエルの民が奴隷でであったときも、荒野の旅の間も、カナンの地での戦いの間も、主は変わらずイスラエルの神でいてくださった。イスラエルの人々は、いつも神に従って歩んだわけではありませんでした。不平を言い、神のことばに背いたたこともありました。けれども、主は変わらずイスラエルの神でいてくださり、主の約束は変わりませんでした。 ・今を生きる私たちにとっても、主は変わらず真実な方です。私たちはイエス・キリストを通して神の民です。だからイエス・キリストを通して、ヨシュアとイスラエルの民がそうであったように、神は真実な方であるとしる知ることができます。私たちもまた、主は確かな約束によってこれからも導いてくださると知ることができるのです。

 

最後まで成長し続ける ・ヨシュアはおそらく90代になっていたと思われますが、主がヨシュアに告げられたことは、もう十分だ。あとはゆっくり休みなさい、でははありませんでした。「ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。主は彼に告げられた。『あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。』」1)ヨシュアには、年老いてもまだなすべきことがあるということです。2節から6節までの部分では、カナンの地で占領されずにまだ残っている地について語られています。このことが私たちにとって意味するところは、いくつになっても、私たちが成長する余地は残っているということではないでしょうか。どれだけ年を重ねても、キリストに似たものへと変えられていく歩みは生涯続きます。さらに、私たちの住むこの世界も、「占領すべき地」をたくさん残しています。それはこの世界が神の望まれる姿に変えられていくということです。これは主がこられるときまで、私たちに託された大切な使命であり、年を重ねたからこそできる役割があるのです。

 

 

神の国を受け継ぐ ・「わたしがあなたに命じたとおり、あなたはその地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ。」6)主がヨシュアに託された役割は、主が与えてくださった約束の地を次の世代に受け継いでいくことです。神の民にとって、土地は所有物ではありません。よりよく管理するために、王である神が分け与えてくださるものです。約束の地で受け継ぐのは土地だけではありません。土地を受け継ぐとともに、神のことばに喜んで従っていく信仰を受け継ぐのです。・新約聖書が繰り返し語ることは、クリスチャンになるということは神の国を受け継ぐことだということです(ガラテヤ4:7)。神の子どもとされた私たちは主から豊かな賜物を受け継ぎます。そしてさらに、主から受けたものを次の世代に受け継いでいく責任があります。キリストのからだである教会の民として、私たちはなにを次の世代に受け継ぐのでしょうか。それはヨシュアがそうであったように、主への信仰であり、神のことばに従って歩む生き方なのです。