2022年1月23日礼拝

聖なる公同の教会  マタイの福音書16章13~19節

 

教会はキリストのもの 今日のテーマは教会です。みなさんにとって、教会とは何ですか。教会は何であるかは、イエス・キリストがどなたであるかで決まります。ガリラヤで、ユダヤで、多くの人はイエスは預言者のひとりだと思っていたようです。そんな中、イエスは弟子たちに問いかけます。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(15)するとペテロが「あなたは生ける神の子キリストです」(16と、はっきりと、イエスが神の子、救い主であると言い表します。天の父がペテロに教えてくださったからです。イエスが教会の約束を語られたのはこのときでした。「そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。」(18)教会は弟子たちのものでも私たちのものでもありません。イエス・キリストのものです。イエスが天にあげられ、弟子たちに聖霊が注がれたとき、弟子たちはイエスのことを伝え始めました。ここに教会が生まれたのです。使徒信条では教会は「聖なる」教会であると言い表します。聖なるとは教会は神のものであるということです。教会はこの世から選び出され、イエス・キリストによって、神のために特別に取り分けられているということです。教会は私たちを愛してくださっているイエス・キリストのものです。私は私たちを愛してくださっているイエス・キリストのものです。

 

 

教会は一つ 使徒信条は教会を「公同」の教会と言い表します。つまり、教会はひとつであるということです。時代と場所を越えて、聖書が同じです。そして教会は同じイエス・キリストにつながっています。使徒信条によって言い表す信仰も同じです。もちろん、それぞれの教会に違いはあります。国が違えば言葉も違います。教会のあり方もそれぞれ違いがあります。私たち一人一人にも違いがあります。それでも、イエスが約束され、お建てになる「わたしの教会」は一つです。イエス・キリストはおひとりです。だから場所が違っても時代が違っても、教会は一つです。世界のどこにいても、どのような時代にあっても、「生ける神の子キリスト」と結ばれているなら、私たち一人一人が教会です。教会はいつでも変わらない神のことばと変わらない聖霊によって導かれていきます。「よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」18)教会をばらばらにしようとする悪魔の力は、昔も今も働いています。けれども、イエス・キリストは十字架と復活によって悪魔の力と死の力に打ち勝ってくださいました。キリストは今も教会を守り、教会を通して神の国を完成に導いてくださっています。教会は十二弟子のように、イエスに呼ばれ、イエスを主と告白し、イエスにについていきます。教会はイエス・キリストのもの、教会はひとつです。だから私たちは過去の教会、未来の教会、世界の教会とともに、同じイエス・キリストに結ばれて、神を礼拝し、信仰を告白し、終わりの日まで、イエス・キリストをこの世界に証ししていくのです。