2022年3月13日 礼拝説教

回復させてくださる主    エズラ記1章1~4節

主はすべてのものの王 ・今日からエズラ記です。エズラ記は旧約聖書の一つ前の歴代誌と深い関係があります。歴代誌は都エルサレムの滅亡で終わっています。つまり捕囚の始まりです。そして歴代誌第二の最後にはエズラ記の最初とほぼ同じことが知るされています。伝統的には歴代誌とエズラ記は同じ祭司エズラによって書かれたとされています。長かったバビロン捕囚からの解放です。解放はどのように訪れたのか。バビロン捕囚からの解放は、ユダヤ人の独立戦争によるものではありませんでした。主がしてくださったことです。しかも、このときはあの出エジプトの時のような奇跡はなにも起こりませんでした。起こったのは一人の王様の決断でした。ペルシア帝国の最初の王であるキュロスの手によってユダヤ人は解放されたのです。「ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。」1)イスラエル王国を滅ぼしたアッシリアとバビロンが採った方法は強制移住でした。いっぽう、ペルシアはそれぞれの民を帰国させる方法を採りました。その方が諸民族が帝国に忠誠を尽くすと考えたのでしょう。このことが、ユダヤ人たちが捕囚から解放されることにつながったのです。主が外国の支配者を用いて、ご自身の計画を実現してくださったということです(イザヤ45:13参照)。バビロン捕囚からの解放は主のあわれみによるものでした。なぜなら、どんな世界帝国もすべての国々の王も治めておられる方だからです。なぜ世界のために祈るのか。主はすべてのものを治めておられる王だからです。

 

礼拝の回復へ ・「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。』」2-3)キュロス王はユダヤ人ではありません。主のみを信じていたというわけでもありません。けれどもエルサレム神殿をもう一度建て直すことをキュロス王はユダヤ人たちに命じました(イザヤ4428参照)神殿を建て直すことは単に建物の再建ということだけではありません。もう一度主を礼拝できる。礼拝の回復です。「あとに残る者たちはみな、その者を支援するようにせよ。」もちろん皆が帰るわけではなく、ペルシア帝国にとどまる民もいました。彼らはささげものをもって同胞を支援します。このようにして、みんなで神殿を再建すること。そこにユダヤ人が神の礼拝の民として回復していく道筋がありました。私たちは主イエス・キリストによって、神を知らないものから神を礼拝する民へと変えられました。イエス・キリストがご自身のいのちをささげられたことにより、神と私たちとの関係を回復してくださったからです。だから神の民は神を礼拝できるのです。神を礼拝するために必要なことは、一部の人だけではなくて、ひとりひとりのささげる思いを集めることです。そこに礼拝の始まりがあり、礼拝の回復があり、私たちの生き方の回復があるのです。