2022年3月20日礼拝

心を動かす主    エズラ記1章5~11節

主の計画は ・神のご計画は私たちの思いや意志とは無関係に進められていくのではありません。聖書はキュロス王がユダヤ人をバビロン捕囚から解放したのは、主がキュロス王の「霊を奮い立たせた」からだとはっきり語ります(1)。キュロス王はユダヤ人たちに、エルサレムに帰って滅ぼされたエルサレムの神殿をもう一度立て直すようにと命じました。「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たちは立ち上がった。エルサレムにある主の宮を建てるために上って行くように、神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。」(5) 主は私たちの霊を奮い立たせることによってことを行われる方です。エルサレムに戻ること。そこには大きな危険がともない、時間もお金もかかります。そんな中でも、主が心を動かしてくださった人たちがいたのです。イエスが弟子を招かれた時もそうでした。イエスは多くの群衆にみことばを語られましたが、従ったのは少数の弟子たちだけでした。いつの時代も、決して大勢ではありませんが、主によって心動かされて立ち上がる人がいます。そのようにして宣教のわざは起こってきたのではないでしょうか。主は私たちの心に思いを与えることによってことを行われる方です(ピリピ2:13)。

 

主の守り ・バビロンからエルサレムまでの旅については、エズラ記は何も語っていません。けれども帰還の民が無事にエルサレムにたどり着いたことはたしかです。そこに主の守りがあったからです。旅の危険があります。さまざまな必要があります。さらに彼らはエルサレムで神殿を建て直すのです。「彼らの周りの人々はみな、銀の器、金、財貨、家畜、選りすぐりの品々、そのほか進んで献げるあらゆる物をもって彼らを力づけた。」(6)またバビロンにはバビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムから奪ってきた「主の宮の器」の品々がありました。キュロス王がしたことは、これらの品々をエルサレムに返すことでした(811)。ここにも主の守りがありました。帰還の民はエルサレムで神殿を再建します。もう一度約束の地で主を礼拝するためです。礼拝の回復は神との関係の回復です。そのために多くのものがささげられました。けれども、私たちが救われ、神との関係が回復するためにささげられたものは金銀よりもさらに高価なものでした。私たちのためにささげられたのは金銀よりも高価な神のひとり子イエス・キリストのいのちです。神がご自身のいのちをささげてくださったことによって、私たちは罪と死から救われ、神との関係を回復することができたのです。 ・主はキュロス王やユダヤ人の霊を奮い立たせたように、私たちの霊を奮い立たせてくださる方です。死からよみがえられたキリストが、私たちひとりひとりに聖霊を注いでくださったからです。かつては自分の名誉や欲望に動かされていた私たちでした。けれども聖霊は私たちの心を新しくします。神を礼拝するため、神と人とを愛し、神のすばらしさを証しするためです。私たちが主に従って歩むなら主はすべての必要を満たし、その道を守られます。私たちも主に心動かされて、今ここから神と人とを愛する歩みへと、私たちも立ち上がって出て行くのです。