2022年5月1日礼拝

神の民であるとは       エズラ記 2章59~70節

Q.私がクリスチャンであることを証明してくれるのは何でしょうか? 

 

「次の人々はテル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アダン、イメルから引き揚げて来たが、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できなかった。」59)これはおそらくバビロン捕囚の影響が大きかったと思われます。さらに大きな問題となるのは彼らが祭司であった場合です。つまり祭司の資格があることを証明できないということです。彼らはエルサレムに帰っても神殿の奉仕につくことを禁じられました(62-63)。ここからわかるのは、神の民であること、神への奉仕者であることには証明が必要だったということです。エズラ記の時代には血統や家系の証明が必要でした。旧約の時代には、原則的にはユダヤ人だけが神の民だったからです。けれども、神のご計画はユダヤ人を通して、すべての民が神のものとされることでした。神のご計画はイエス・キリストによって実現しました。私たちは血統によってでも家系によってでもなく、神のひとり子イエス・キリストを信じキリストにに結ばれることによって神のものとされました。 ・私たちにとって、自分が神のものとされていることを証明してくれるのは何でしょうか。私が神のものであるのは、私の中にイエス・キリストが住んでおられるからです。聖霊によってです。聖霊は私たちの内側で、私が神の子どもとされていることを証ししてくださいます(ローマ8:16)。

 

「一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、神の宮を元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした。」(68) 大切なのは、彼らは強制的にささげさせられたのでも、義務的にささげたのでもなかったということです。彼らは自分から進んで、そして自分たちの財力に応じてささげました。神から与えられた賜物を主のために進んでささげる生き方は、私たちにとっては「御霊に導かれ」て(ローマ8:14)歩む生き方です。神の民とされた私たちに問われているのは、日々御霊に導かれて歩んでいるかどうかということです。神はイエス・キリストを通して私たちひとりひとりに豊かな御霊の賜物を与えてくださっています(1コリント12:4-7)。ひとりひとりに皆の益となるための賜物が必ずあるのです。その賜物を進んで神のためにささげる生き方が御霊に導かれる生き方です。 ・進んでささげるささげものによって、エルサレムの神殿はもう一度建て直されることになります。神は私たちをも、この世界の<再建>のために神の民としてくださいました。この世界は人間の罪のために本来の姿から離れてしまいました。神のご計画は、まるで神殿が建て直されるように、私たちとこの世界がもう一度望まれる姿に変えられることこれが神のご計画です。主から与えられている賜物を、互いにキリストのようにつくりかえられていくために、この世界が神の望まれる姿に変えられていくために用いていただくこと。そのために私たちは神の民として選ばれたのです。