2022年6月26日礼拝

私は永遠のいのちを信じます    ヨハネの福音書17章1~5節

使徒信条の最後のことばは「とこしえのいのちを信ず」です。永遠のいのちとは何でしょうか。イエスは言われます。永遠のいのちとは<神を知ること>(17:3)です。

①ただひとりの本当の神を知る 「これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。『父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。」(1)「栄光」は「唯一のまことの神」(3)だけがもっておられる神のすばらしさです。神はこの世界を造られた方です。この世界には神の栄光が満ちています。けれども、この世界には悲しいことや残念なこともたくさんあります。私たち人間には神の栄光を曇らせてしまう罪があるからです。神は唯一です(申命6:4)。けれども人間は自分勝手に自分の思い通りの神々を造ろうとします。そうやって神の栄光を曇らせてしまうのです。私たちは自分の知恵ではただ一人の本当の神を知ることはできません。どうすればただ一人の本当の神を知ることができるのでしょうか。イエスを通してです。

 

②救い主イエスを通して神を知る 「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」(3)私たち人間の中にはただひとりの本当の神を信じようとせず、自分が神であるかのように生きようとす罪があります。イエスが十字架で死ななければならなかったのは、それほどまでに私たちの罪が深いからであり、私たちを赦す神の愛がさらに深くて大きいからです。「わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。」(45)十字架は人の目には惨めで残酷なものです。けれども、イエスの十字架は神の栄光です。十字架こそが、イエスが私たちを罪と死から救う救い主であることをもっともはっきりと示すからです。

 

 

③イエスとともに生きる イエスを通してただ一人の本当の神を知ること、それはただ頭で理解するだけではありません。イエスといっしょに生きていくことです。十字架によって私の罪を赦し、復活によって新しいいのちを与えてくださるイエスといっしょに生きていくことです。洗礼はイエスといっしょに生きていく人生の始まりです。すべての人にはいつか死ぬときが来ます。けれどもイエスといっしょに生きていく人生は死では終わりません。 ・私たちはイエスを通して神を知りました。今イエスとともに生きるなら、私たちは永遠のいのちをもう味わい始めています。さらに神は約束してくださいました。もう一度イエスが来てくださる時、神を完全に知るようになるということです(Ⅱコリント3:18)。私たちはその時、よみがえらされ、キリストのように変えられ、神と顔と顔を合わせてお会いします。その日、永遠のいのちは完成します。その日まで、私はこれからも使徒信条によって信仰を告白し続けます。毎週の礼拝が、イエスとともに生きる決心の時だからです。