2022年6月5日礼拝

御霊によって祈る  ローマ人への手紙 8章26~27節

何をどう祈ったらよいかわからない 今日は聖霊が弟子たちに注がれた記念日です。主イエスは聖霊を「もう一人の助け主」であると言われました(ヨハネ1416)。聖霊は私たちの祈りを助けてくださる助け主です。クリスチャンになるとは祈る人になることです。神は祈りを聞いてくださるからです。けれども、神は聞いてくださらないのではないか、聞いてくださるというのならなぜこんなことが起こるのかと思うこともあります。祈ることに弱さを感じるときがあります。「私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、」(26) 神は祈りを聞かれる方です。ただしそこには条件があります。神が答えてくださるのはみこころにかなった祈りです(1ヨハネ5:14)。何をどう祈ったらいいかわからないとは、言い換えれば神のみこころがわからないということでもあります。私たちは神のみこころの大きな全体像を聖書によって知ることができます。ゴールははっきりしています。救いの完成です。でも、ゴールまでの間にどのような道をたどるのか、すべてを知ることができるわけではありません。わからないことの方がはるかに多いです。では、祈っても意味がないのでしょうか。決してそうではありません。

 

私の祈りを助けとりなす御霊 私が祈るとき、私は一人で祈っているのではありません。私たちの中には神の霊である聖霊が住んでおられます。「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」(26) 私がイエスの名によって祈るとき、御霊が助けてくださるのです。いっしょに祈ってくださる。祈れないときかわりにとりなしてくださる。とりなすとは、誰かにかわってお願いするということです。ただのおねだりではありません。御霊は神のみこころを知っておられるからです。「人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。」(27)御霊は神ご自身の霊です。だから御霊は神のみこころを知っておられます。そして天の父は御霊のとりなしの祈りを聞いてくださいます。御霊のとりなしに助けられて祈ることができるようになっていくのです。

 

 

御霊によって祈る 使徒パウロは別の箇所で「御霊によって祈りなさい」(エペソ618)と勧めます。祈ることは私が一人で神に願いを届けることではありません。古代の教会が言い表してきたことは、祈るとは<御子のゆえに御霊によって天の父に祈る>ことだということです。神は私たち人間の心を探る方、思いを知っておられる方です。私たちは祈ることによって自分の思いを知ります。祈ることによって霊的な必要を知ります。世界宣教もまず祈りから始まりました。今日はペンテコステです。私たちは祈ります。神の栄光のために、日々の必要のため、世界のため祈ります。この祈りは助け主である御霊がともに祈り、とりなしてくださっている祈りなのです。御霊によって祈りましょう。御霊によって祈る中に、神はともにおられるからです。