2022年7月17日礼拝

この地上で、主の民として   エズラ記6章1~12節

Q.社会の中でクリスチャンとして生きることに葛藤を覚えることはありますか?

主は覚えていてくださる ・中断させられていたエルサレムの神殿工事が再開しました(5章)。するとペルシア総督の調査が入り、キュロス王が出した神殿再建命令の文書があるかどうか調べてほしいと、当時のペルシアの王ダレイオスに申し出ました。そしてついに文書がペルシアで見つかったのです。「記録。キュロス王の第一年にキュロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえが献げられる宮を建て、その礎を定めよ。」(3) これによって、神殿再建がキュロス王の命令であったことが証明されました。けれども、キュロス王の命令以前に、神殿が建て直されることは主の約束です(イザヤ4428)。途中妨害があり、ペルシアの王も代わりました。けれども、主は覚えていてくださいました。たとえ王やペルシアの人々が忘れてしまっても、主はご自身の約束を決して忘れることはありません。主は真実な方です。民との契約を覚えていてくださる方です。イスラエルの民が何度背いても主の約束は変わりませんでした。主は忘れることのない方だからです。神殿は神の住まいです。神殿が指し示す<わたしはあなたとともにいる>(出エジプト3:12)という神の約束は、人となられた神のひとり子、イエス・キリストによって実現しました(マタイ1:23)。私たちに与えられた主の変わらない約束は神の国の完成です。すべての国々の人々が主を知り、主をたたえるようになるときを、すべての争いや苦しみがやみ、すべてのものが神の望まれる姿に造り変えられる時を私たちは待ち望んでいます。だから希望があります。先が見えないように思えるときでも、主は覚えていてくださる方、約束を成し遂げてくださる方だからです。

 

主はすべてにまさる王 ・キュロス王の命令文書を受けて、現在の王であるダレイオスがあらためて命令を出します。「この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちに、この神の宮を元の場所に建てさせよ」7)王はさらに、民が神殿で主を礼拝するためのささげものを与えることまで命じます(9)。ダレイオス王はイスラエルの民に対して非常に寛大な王であったということです。主はダレイオス王を通して、神殿が完成まで守られるように必要が満たされるようにすべてを備えてくださったのです。「こうして彼らが天の神に芳ばしい香りを献げ、王と王子たちの長寿を祈るようにせよ。」10)神の民は地上の為政者のためにもとりなし祈ります。そしてそれは良いことです(1テモテ2:1-3)。けれども、私たちがより頼むのは地上の為政者ではありません。クリスチャンは地上で生きますが、地上のものではないからです。私たちはイエス・キリストに結ばれたことによって、神のものです。地上の王や権力は神の民の信仰に理解のある場合もあれば、そうでないこともあります。指導者は変わり、社会も変わります。けれども時がよくても悪くても、主はすべてのものもまさる王です。だから私たちはこの地上で、主の民として生きるのです。