2022年7月24日礼拝

天にいます私たちの父よ   マタイの福音書6章9~13節

天の父を呼ぶ ・<主の祈り>はイエスが弟子たちに教えてくださった祈りです。教会はこの祈りを大切にしてきました。「天にいます私たちの父よ」(9)イエスが教えてくださったことはまず、神は私たちの天のお父さんだということです。神が父であること、それは神が私たちと結んでくださる親しい関係を表します。神は私たち人間を造られました。それは神に愛されている神の子どもとして、神を愛し、人を愛して生きるためです。けれども、すべての人は罪によって、神の子どもとしての姿を失ってしまいました。最初の人間アダムとエバのときから、人は神の子どもであるよりも、神抜きで自分の思い通りに生きることを選ぶようになりました。罪が私たちと神との間に入り、神との関係を壊してしまいました。だから神が父であることがわからないのです。イエスは神が天の父であることを知らなかった人々に、神は天の父であること、私たちを愛し守ってくださる方であることを伝えました。けれども多くの人はイエスを受け入れませんでした。だからイエスは十字架で死なれたのです。イエスの十字架は私を神の子どもとするための十字架です。私たちはイエスによってしか、天の父を知ることはできません。イエスによってはじめて神は私たちの父です。クリスチャンはイエスによって神のこどもです。だからイエスを通して天の父を呼ぶのです。

 

天の父が呼んでくださるから ・私たちはイエスを通して神を天の父と呼ぶことができるようになりました。それはまず天の父が私を呼んでくださるからです。まず天の父が、イエスに結ばれた私たちを私の子よと呼んでくださる。その呼びかけを聞いて私たちは父を呼ぶことができるようになっていくのです。イエスはいつも神を私の父と呼んでいました。それはまず天の父が、イエスのことを「わたしの愛する子」と呼んでくださっていたからです(マルコ1:11)。私たちもまた、イエスと結ばれることによって、天の父の愛の呼びかけを聞くことができます。聖書のみことばによって、私たちの中に住んでおられる聖霊によって、天の父の呼びかけを聞くことによって、天の父を呼ぶことができるようになるのです(ガラテヤ4:4-6)。だから主の祈りを祈るときは、すぐに祈り始める前にまず、私が神の子どもとされていることを深く味わった上で、天にいます私たちの父よ、そう祈り始めたいものです。

 

 

神の家族の祈り ・主の祈りはすべて「私たち」の祈りです。主の祈りは弟子たちの祈りです。さらに、主の祈りは神の子どもたちの祈り、つまり教会の祈りです。教会はイエス・キリストに結ばれた神の子どもたちです。イエスによって私たちは神の家族とされました。教会は主の祈りを礼拝で祈ります。また日々の生活の中でも主の祈りを祈ります。ひとりで祈るときも、私はひとりではありません。主の祈りは私たちの祈りだからです。今日も世界中の神の子どもたちが私たちと同じ祈りを祈っています。今日も私たちは<主の祈り>を祈ります。それは主が教えてくださった祈りによって、私たちとの関係をさらに深めてくださるということです。この関係は永遠の親子の関係、永遠に続く愛の関係です。