2022年7月31日礼拝

神とともにいる安息   創世記2章1~3節

Q. あなたにとって「安息」とは何ですか?

 

 神が造られた世界に生かされる ・聖書の中で安息はとても大切なテーマです。それは天地創造の初めからです。「こうして天と地とその万象が完成した。神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。」1-2)<やめる>という言葉が「安息」の元になっています。疲れたから休んだのではありません。天地創造の働きが六日目までの間に完成したからその働きをやめられたということです。この世界は神の作品です。そしてすべてが非常によかった。この世界に神の安息をもたらすことこそが、神がこの世界を造られた目的でした。六日目に造られた人間が最初にしたことは、働きではなく安息です。忙しい生活の中で生きていると、私たちは人間が人間のために造った世界で生きているかのように思い違いをしてしまいます。すべて自分で何とかしなければ…だから休めないのです。神が造られ祝福された世界の中で生かされていることを思い起こすとき、そこに安息があります。

 

祝福を分かち合う ・「神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。」3)七日目に神がなさったことはこの日を祝福することです。人間はこの永遠の七日目を、神が造られた世界で神とともに祝福を分かち合うために造られました(詩篇73:28参照)。けれども私たちの中には、神が造られた世界で神とともに喜び楽しむことができないような現実があります。その原因は神ではなく人間の側にあります。アダムとエバの罪以来、神とともに喜び楽しむことよりも自分の思いのままに生きることを人間は選びました。私たちの罪が神との交わりと七日目の安息を壊してしまったということです。救い主イエス・キリストがしてくださったことは、ご自身のいのちと引きかえに、私たちが神との交わりを楽しむ、神によって造られた本来の姿に戻ることができるようにしてくださったということです。

 

今日は聖なる日 ・神は七日目を「聖なるものとされ」ました。一日目から六日目までもすべてがよかった。けれども、聖なるものとされたのは七日目だけです。神は七日目を特別にとりわけ、他の日とは区別されたということです。この日はのちに「安息日」として定められました。(出エジプト20:8-11)もちろん、毎日の生活も神とともに歩む日々です。けれども特別な一日を七日に一度神が備えてくださった。新約の教会は、イエス・キリストがよみがえられた日曜日を安息の日として特別にとりわけて過ごします。礼拝の一時間だけが安息なのではありません。この日一日を神とともに神の祝福を味わう日としましょう。休息、睡眠も必要です。また、じっくり聖書を読むこと、祈ること、自然の中で神の創造のすばらしさを味わうことも必要です。安息は神との交わりの中にあります。私たちはそのように造られたのですから。