2022年7月3日礼拝

神の民の生き方    エズラ記5章1~5節

神のことばによって立ち上がる 5章で語られるのは、サマリア人の妨害によって中断した(4章)神殿工事が再開したことです。きっかけは預言者ハガイとゼカリヤが現れたことです。「さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤという二人の預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に対して、自分たちの上におられるイスラエルの神の御名によって預言した」(1)。神殿工事が中断している間、イスラエルの民には信仰の落ち込みもあったはずです。けれども彼らはその間「自分の家のために走り回っていた」(ハガイ1:9)のです。問題は神との関係です。いつの間にか神との関係よりも自分たちの生活を優先するようになっていたのです。主が預言者を通してみことばを語られたのはそのときでした。「そこでシェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちが一緒にいて、彼らを助けた」(2)。私たちは一週間、いろいろなこの世の声を聞き続けています。その声は私たちを自分の身の回りの生活のことだけで忙しくさせるような声です。今日神は礼拝においてみことばを語られます。日々聖書を開くときみことばを語られます。神の民の生き方は日々みことばによって立ち上がる生き方です。

 

神の守りだけに信頼する 神のことばに指導者と民が応答したことにより、神殿の工事は再開されました。するとそのとき、試練が訪れました。「そのような時期に、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちが彼らのところにやって来て、こう言った。『この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。』そしてまた、『この建物を建てている者たちの名は何というのか』と尋ねた」(3-4) けれども彼らは神殿工事をやめさせようとして問いかけたのではありませんでした。「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができなかった」(5)こうして、神殿工事が再び中断してしまうことはありませんでした。「神の目が注がれていたので」とあります。たしかな神の守りがあったということです。神はみことばに聞き従い立ち上がる神の民を守られます。神の民に必要なことは神の守りだけに信頼することです。

 

神殿再建とは 神殿を建て直すことが私たちにとって意味するところは、私たち一人一人の成長です。神殿は神の住まいです。新約の文脈で考えるなら、神の住まいとは聖霊が住んでおられる私たち自身だからです(Ⅰコリント6:19)。また同時に神殿の再建とは、教会という共同体を建て上げることでもあります(エペソ2:20-21)。教会はキリストのからだであり、一人一人の成長は必ず教会の成長につながります。まず建て直される必要があるのは神との関係です。日々みことばによって立ち上がり、神の守りに信頼して歩む中に、私たちの神の民としての成長があります。その中で教会はキリストのからだとして建てあげられていくのです。