2022年8月7日礼拝

特別な一日   出エジプト記20章8~11

神のリズムで 「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。」8)安息日規定は十戒の第四戒です。十戒が与えられたのは、主が民をエジプトから救い出されたあとのことです。安息日を覚えることも救いの条件ではなく、救われた者が神の民として生きるための道案内です。「六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。 七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。」9-10)働くことが軽んじられているのではありません。働くこともお金も大事です。けれども、休みなく働き続け走り続けるなら、人は人間らしい生き方を失います。神は安息の日を定められました。働くために休みが必要だからではなく、安息そのものが人間らしく生きるために必要なのです。安息日は仕事の手を休めて、神との交わりの日として主が備えられた日です。また安息日は、神の民が神だけに信頼することを学ぶ日でもありました(出エジプト16:20-23)。神に信頼して生きていくことが人間らしい生き方だからです。「それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。」11)私たちは神によって造られたから神のリズムで生きるのです。

 

すべての人に必要  「七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。」10)当時はさまざまな事情で奴隷になる人々がいました。当時の多くの国々では奴隷は虐げられ苦しめられている存在でした。けれども旧約聖書からわかることは、イスラエルの民の中では、奴隷に対して配慮ある取り決めがあることです。安息の日は奴隷も仕事を休み、大人も子どももみんなで主を礼拝したのです。主は差別をなさらない方だからです。人間らしい生き方はすべての人に必要とされています。旧約の時代、安息が知られていたのはイスラエルの民だけでした。イエス・キリストはすべての人に神との交わりという本当の安息を与えるためにこの地上に来られたのです。

 

救いを喜ぶ日 ・忘れてはいけないことは、イスラエルの民もエジプトで長い間休みのない奴隷だったということです。イスラエルの民は今エジプトから解放され神のものとなりました。だからエジプトのリズムではなく、神のリズムで生きるのです。また安息日は神の救いを記念し喜ぶ日です(申命記5:15)そしてイエスが教えてくださったことは、私たちも罪の奴隷であったということです(ヨハネ8:34)。イエスは私たちを罪の奴隷から解放してくださった救い主です。当時は奴隷の身分から解放されるためには贖い金が必要でした。イエスがしてくださったことは、私たちが罪の奴隷から解放されるためにご自身の高価ないのちをささげてくださったということです。私たちには救いを喜び感謝する特別な一日が毎週必要です。救いの出来事がどんなに大きなことかを毎週味わうことを通して、私たちは神に愛されている子どもとしての本来の自分の姿を取り戻していくことができるのです。