2020年3月8日礼拝

 キリストの使節 

エペソ人への手紙6章19~20節

 「また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。」(19パウロはこのときおそらくローマで鎖につながれています。けれども、パウロがエペソの教会に求めた祈りは、彼が鎖を解かれて早く解放されるようにという祈りではなく、福音を大胆に語ることができるようにという祈りです。確信をもってはっきりと福音を語ることができるように。これこそがパウロの戦いだったからです。パウロが鎖につながれているのは彼がイエス・キリストの福音をまっすぐに語ったことがユダヤ人たちの反発を招いたからです。イエス・キリストの福音は、生まれながらの古い心には受け入れられないことです。福音は、私たちに生き方を神に向けて変えることを迫るからです。

・「福音の奥義」とはひとことでいうなら、神の救いのご計画です(3:5-6)。旧約の時代には、神の救いのご計画はおもにユダヤ人だけに知られていました。けれども、イエス・キリストを通して、神の救いのご計画は世界のすべての民に対するものであることが明らかにされたのです。すべての人は罪によって神と関係が壊れた状態にあります。イエス・キリストは私たちと神との関係を回復に導き、神と共に生きる新しい生き方に招くために、十字架で死なれ、死からよみがえられました。この方に信頼し従うならば、国籍も民族も、血筋も身分も性別も関係なく、すべての人が、悪魔の支配から解放され、神の子どもとなることができます。そこにはユダヤ人と異邦人の区別はありません。これが福音の奥義です。

 

 

「私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」(20)福音はユダヤ人には歓迎されず、パウロは各地で迫害を受け、鎖につながれています。そんな中でも、パウロは自分に与えられた使命に忠実でした。よみがえられた主イエスが直接与えてくださった使命だからです。「使節」とは当時はローマ皇帝からの命令を伝えるために派遣される人のことでした。パウロは、ローマ皇帝の使節ではなくキリストの使節です。キリストこそが王であり主だからです。キリストから遣わされ、キリストに代わって福音を伝えることこそがパウロの使命です(Ⅱコリ5:20)。パウロがエペソの教会に求めた祈りは、彼が神から与えられた使命を果たすことができるようにという祈りでした。 ・私たちに必要な祈りは、お互いの使命のための祈りです。ひとりひとりが神から与えられた使命を果たすことができるように。クリスチャンになるということは、キリストの使節になるということです。キリストから遣わされてキリストの代わりに、家庭、職場、学校に遣わされています。それはまず主イエスご自身が、天の父のもとから遣わされた使節だからです。まず主イエスご自身が天の父から私たちの元に遣わされました。私たちが天の父を知り、神の子どもとして生きるためです。神のひとり子キリストに結びあわされた者は、天の父に愛されている神の子どもとして、主であり友であるキリストのもとから遣わされます。キリストの使節として、互いに祈りあいながら、私たちはここから遣わされていくのです。