2020年4月26日礼拝

復活の意味 

コロサイ人への手紙3章1~4節

キリストとともに ・「こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、」(1)イエス・キリストは死からよみがえられました。イエス・キリストを罪からの救い主として信じたとき、その人は、十字架に架かり死からよみがえられたキリストと結ばれて一つにされます。その目に見えるしるしが洗礼です(2:12)。キリストは神に背いた罪人である私の身代わりとなって十字架で死なれました。それは私が神抜きの、自分を神とする罪の生き方に対して死ぬためでした。イエス・キリストを救い主として信じて洗礼を受け、クリスチャンになるとは、神抜きの生き方に対して死に、キリストの復活のいのちによって、神とともに生きる新しい生き方を始めるということです。

 

新しい生き方 ・「上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。」(1-2)クリスチャンが招かれている新しい生き方は、「上にあるものを求め」る生き方です。けれどもそれは上昇志向でも、徳を積みきよい人間になることでも、宗教儀式を守り自分を高めることでもありません。キリストとキリストの持っておられるよいご性質を求めることです(3:12)。「上」とは天、神がおられるところです。キリストは死からよみがえり、天にあげられ、天の父である「神の右の座」で王としてこの世界を治めておられます。イエス・キリストは復活によって死に打ち勝ち、愛によってこの世界を治められます。 ・キリストがまず治められるのは私たち一人一人の心です。キリストに結ばれる前、私たちの心を治めていたのは「地にあるもの」すなわち神から離れた悪い欲でした。悪い欲の根にあるのは満たされない思いです。私たちの中にある欲求は神を求めるきっかけともなりますが、神を離れた欲求は悪い欲望に結びつきやすくなります。悪い欲望を離れるために必要なことは、どんなときも、よみがえり天にあげられ、私を愛してくださるキリストに信頼して従うことです。

  

希望 ・「あなたがたはすでに死んでいて、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます。」(3-4)復活の希望は私たちが新しく造り変えられることにあります。よみがえられたキリストを救い主として信頼するなら、キリストの復活のいのちは、目には見えなくともすでに私たちの中にあります。キリストに結ばれるなら、復活のいのちは私たちを内側から、神が創造された本来の姿へと造り変え続けます。そして天にあげられたキリストがもう一度来られるとき、生きていても、死んでいても、私たちは復活のいのちの力によって完全に変えられます。だから肉体の死はすべての終わりではありません。 ・キリストはよみがえられました。それは私たちがキリストの復活のいのちによって新しい生き方を始めるためです。キリストとともに生きる新しい生き方には希望があります。イエス・キリストの復活を信じるとは、この希望に向かって歩んでいくことなのです。