2021年12月5日礼拝

いのちをもたらす関係  ヨシュア記23章11~16節

23章はイスラエルの指導者ヨシュアがイスラエルの民に語った告別メッセージです。遺言のことばといってもよいものです。聖書は神の言葉です。同時に、そのことばの多くは人の口を通して語られます。ですから、ヨシュアが地上の生涯の最後に伝えたことは、聖書の中心的なメッセージそのものです。聖書の語っている中心的なメッセージは、人間にとってもっとも大切なことは神との関係であるということです。人間は神に似せて、神との交わり中で生きるように作られたからです。神との親しい関係の中で生きることが人間本来の生き方であることが、神が聖書によって私たちに語っておられることです。神と私たちをつなぐのは愛です。ヨシュアが地上での生涯の最後に人々に伝えたこと、それは、愛によって神と結ばれた関係の中を歩んでほしいということでした。「だからあなたがたは自分自身に十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。」(11)私たちにとっても、人生において一番大切なことは主を愛することです。それほどまでに主が私を愛していてくださるからです。多くの人が、愛が大切であると頭ではわかっています。でも、愛することができません。それは愛されているという実感がないからではないでしょうか。イスラエルの民は神がエジプトで行われた救いのわざを通して神の愛を知りました。私たちは主の愛を知りませんでした。けれどもイエス・キリストによって、私をどんなときも守り、育て、救い、愛してくださる主の愛を知りました。神の民に求められていることは主の愛を知ったものとして主に愛されている者として主を愛することです。

 

 

・「自分自身に十分に気をつけて」とあります。主はこんなにも私たちを愛してくださっている、にもかかわらず、私たちの中には神から離れていこうとする罪があるからです。「しかし、もしも、あなたがたが再び堕落して、これらの異邦の民の生き残っている者、すなわち、あなたがたの中に残っているこれらの者たちと親しく交わり、彼らと姻戚関係に入り、あなたがたが彼らの中に入って行き、彼らもあなたがたの中に入って来ることがあれば(…)あなたがたの神、主は、もはやこれらの異邦の民をあなたがたの前から追い払われない。」(12-13結婚は一番親密な結びつきです。カナンの地の民族と家庭を築くことがこの地の偶像礼拝と乱れた道徳の影響を受けることにつながるからです。そうなったらもう主への信仰を受けつぐどころではありません。悪影響が神の民の中に入り込み、やがて神の民全体が主に従うことから離れてしまことになりります。これは姻戚関係に限りません。私たちの古い自分の中には神以上に愛している何かがあります。主に愛されている愛がわからなくなるとき、古い自分に引き戻そうとする誘惑があります。結果的に彼らの子孫は神に従って歩むことができませんでした。捕囚として約束の地を追い出されることになります。けれども、主の最初の約束はなくなってしまったのではありませんでした。神の約束はイエス・キリストによって実現しました。神は神の民をあきらめてしまうことがない方だから。それほどに主は神の民を、そして私たち一人一人を愛しておられるのです。アドベントの時、主に愛されている人として主を愛する。いのちをもたらす交わりの中を歩んでいきましょう。