2022年5月22日礼拝

私はからだのよみがえりを信じます コリント人への手紙第一 155058

すべてが新しくなる イエスが十字架にかかり、私の罪を赦してくださったことによって、天国への道が開かれました。私が死ぬとき、私のたましいは神のもとへ行きます。そして終わりの日に、私のからだはよみがえります。「兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」50)からだは大事です。からだは神の贈り物です。いっぽうで、私たちは今のままのからだでは天国に入ることが出来ません。けれども、神が約束してくださっていることがあります。「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。」51)イエスが復活されたように、私たちのからだも、死後復活するときがきます。そのとき、私たちは新しく変えられ、死ぬことがないからだ、天国に入ることができるからだが与えられるということです。「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。」52)私たちはイエスを信じる信仰を通してイエスに結ばれました。だから私たちもイエスが復活なさったのと同じように、死ぬことがない新しいからだで復活します。そしてそのとき、からだはたましいとひとつにされ、キリストの似姿に完全に変えられます。「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」56-57)死は終わりではなく新しい始まりです。イエスは復活によって罪と勝利されました。そして終わりの時に罪と死は完全に滅ぼされます。私たちはその時を待ち望んでいます。

 

 

日々新しくされ続ける 私たちのからだは復活します。新しくされ変えられます。そしてこれは死んだあとだけのための約束ではありません。クリスチャンになるということは、もうすでに新しく変えられ始めているということだからです(Ⅱコリント3:18)。大事なのは、死んだあとのことをあれこれ思い悩むことではありません。すでに約束があるのだから、大事なことは今をどう生きるかです。「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」58)求められているのは、「いつも主のわざに励」むこと。そのために必要なことは「堅く立って、動かされ」ないこと、つまり復活のキリストに結ばれていることです。イエスは死からよみがえられました。だから「主にあって」つまり復活の主イエスに結ばれてしたすべてのことは、何一つ無駄にはなることはありません。世の中では、注目されること、評価されること、すぐに結果がでることが求められ、そうでないことは無駄なことと思われがちです。けれども、神の見方はそうではなありません。誰も見ていなくても、人が評価してくれなくても、すぐには結果がでないように見えても、私たちがイエスに結ばれてしたすべてのことは、決して無駄になることはありません。罪と死に勝利されたイエスが、終わりの日に必ず完成してくださるのですから。