2022年11月20日礼拝

日ごとの糧を、今日も   マタイの福音書6章9~13

毎日神の助けが必要 ・「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください」(11) ・イエスが教えてくださったのは、<私たちの毎日のパンをください>と天の父に求め祈ることです。イエスの時代の人たちは、働いたお給料をその日ごとにもらっていました。だから多くの人にとって、今日の生活、明日の生活のことが一番の心配事でした。さらにイエスの弟子たちは、それまでの仕事をやめて、弟子たちについてきた人たちです。食べること以外にも、毎日生きていくために必要なものはあります。着る服、住む場所、家族のこと。けれどもイエスは言われました。「あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます」(マタイ6:32)心配事があるなら、天の父に求めればよいのです。  ・毎日食べる物があるなんて当たり前じゃないかと思うかもしれません。私が働いてお金をもらっているから食べていけるんだと思うかもしれません。でも、もし神が健康を支えてくださらなければ、働きを守ってくださらなければ、本当は働いて食べていくこともできないのです。またたくさん働いてお金を稼いだとしても、神が守ってくださらなかったら、食べていくどころか、働きすぎて体をこわしてしまうこともあります。働くことも、健康についても、私たちは毎日神の助けが必要です。明日はどうなるのか。1年後、5年後はどうなるのか。悩みはつきません。でも私たちは一日ずつしか生きられません。だから必要なことは、将来のことをあれこれ悩む前に、今日神に信頼すること。私たちには今日神の助けが必要だからです。神は私たちが生きていくために今日必要なすべてのものを備えてくださるお方です。救い主イエスによって神は私たちの父、私たちは救い主イエスによって神の子どもだからです。

 

 

本当に必要なのは ・私たちのいのちは神からの贈り物です。だから毎日神の助けが必要です。モーセとイスラエルの人々がエジプトを出て荒野の旅をしていたとき、神は荒野でマナを毎朝降らせてくださいました。それはイスラエルの人たちが毎日神の助けが必要であることを知るためでした。同じように、イエスが教えてくださった祈りは、一年分とか十年分の食べ物をくださいという祈りではありませんでした。天の父は日々必要なものを与えてくださる方。だから必要な分だけ求めることをイエスは教えてくださいました。私たちの問題は、本当に必要ではないものまでほしがるようになることです。またこの祈りは私だけではなく「私たちの」祈りです。世界には毎日のご飯を食べられない、十分な栄養をとることができない人々がいます。神はすべての人に十分な食べ物を与えてくださる方です。それをみんなで分け合うのは人間の責任です。 ・イエスは言われました。「わたしがいのちのパンです」(ヨハネ6:35)私たちに本当に必要な毎日のパン、それはイエスです。イエスは十字架にかかり、死からよみがえってくださいました。それは私たちが神の愛を知り、神とともに生きる本当のいのちに歩むためです。本当に必要なことは神といっしょに生きていくこと。イエスが私たちとともにおられ、いのちを与えてくださったことによって、私たちが神とともに生きる道が開かれたのです。神といっしょに生きる祝福が、子どもにも、大人にも、おひとりおひとりにありますように。