2023年3月5日礼拝

イエスがともにおられる   ヨハネの福音書14章18~21節

イエスによって一人ではない 「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。」(18)弟子たちはすべてを置いてイエスについてきました。イエスは単なる教師ではなく、天の父とひとつである方です。ですからイエスが去っていくことは弟子たちにとって父を失うのと同じことでした。けれども弟子たちは一人にされるのではありません。イエスは戻ってこられます。イエスは死からよみがえられるからです。「あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。」(19) これまで大勢の人がイエスを見ました。けれども多くの人はイエスから離れていきました。一方、よみがえられたイエスはの大勢の人の前には現れませんでした。弟子たちを含め約500人だけが復活の主に出会いました(Ⅰコリント15:6)。彼らがイエスを伝える人になるためです。イエスは復活後40日で天に上げられます。ですからイエスが戻ってくるとは40日間だけのことを言っておられるのではありません。イエスは<もう一人の助け主>である聖霊の約束において、弟子たちは一人にしないと約束してくださったのです。むしろ、十字架を前にイエスの見捨てて去っていったのは弟子たちの方でした。そんな弟子たちをイエスは十字架で赦して、彼らを一人にしないと約束してくださった。一人に感じられることがあるかもしれません。病気の時、仕事や学校でうまくいかないとき、誰も助けてくれないように思えるときがあります。けれどもそんなときでも、私たちは一人ではありません。イエスが約束してくださったから、約束のとおりにイエスはよみがえられたから、聖霊によって私たちの中にイエスが住んでいてくださるからです。

 

イエスによって生きる 「わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。」(19)聖書の<生きる>とは神とともにあること、<死ぬ>とは神から離れていることです。生まれながらの私たちは、身体は生きていても死んだような状態にありました。神から離れ、罪ゆえに神とともに生きるいのちを失った状態にありました。けれども、イエスが十字架で罪を背負ってくださった。そして死からよみがえってくださった。それは私たちに神とともに生きる新しいいのちを与えるためです。イエスは今生きておられます。そしてイエスによって私たちも神とともに生きる新しいいのちを生きるのです。「その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。」(20)イエスは天の父とひとつです。クリスチャンになるとはイエスとひとつになることです。ひとつとするのは愛です。「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」(22)まずイエスが私を愛してくださいました。愛することを知らない私の心を造り変えて、イエスを愛する心をくださいました。イエスを愛することは聖霊の助けによってみことばに喜んで聞き従うことです。これからもみことばに聞き従う歩みの中で、私たちはイエスと、そして天の父とひとつにされていくのです。