2022213日礼拝

主の証しに生きる       マルコの福音書 5章1~20節
・今年の教会のテーマは「主の証しに生きる」です。主の証しに生きるために必要なことは、イエスが私のためにしてくださったことを知ることです。

束縛から自由へ イエスと弟子たちは船に乗って、それまで生活していたガリラヤ湖の向こう岸まで出かけます。「イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。この人は墓場に住みついていて、もはやだれも、鎖を使ってでも、彼を縛っておくことができなかった。」(23)悪霊の支配によって彼はがんじがらめにされ、苦しめられていました。けれども、イエスが悪霊に出て行けと命じられると、追い出された悪霊たちは豚に取り付き、豚の群は崖から湖になだれ落ちました。私たちの救いのためにはもっと大きな犠牲が払われました。私たちは神のひとり子イエスのいのちとひきかえに罪赦され、悪霊の支配から解き放たれたのです。束縛から自由へ。これは私たちの身にも起こったことです。生まれながらの人間は皆悪魔の力に支配された罪の奴隷です。イエスが十字架の死によって罪の力に縛られていた私たちを解き放ってくださいました。自分勝手な欲望とこの世の流れに支配され左右されてきた私たちが、聖霊のご支配によって、神の御心は何かを探り求め、祈りつつ神に聞きながら歩めるようになったのです。

 

本来の生き方へ 「そしてイエスのところに来ると、悪霊につかれていた人、すなわち、レギオンを宿していた人が服を着て、正気に返って座っているのを見て、恐ろしくなった。」(15)束縛から自由へ。言い換えればそれは人間本来の生き方に戻るということです。イエス悪霊を追い出したことにより、彼は正気に返りました。人間らしい生き方を取り戻した。本来の生き方に戻ったのです。私たちもまた、神に背を向け、人間本来の生き方を見失っていたという点では彼と同じです。救いとは、神のかたちとして造られた人間本来の生き方を取り戻すということです。

 

 

孤独から交わりへ 「しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」(1819)男はイエスの「お供」をしたいと願いをイエスに伝えましたが、主の御心は彼が家族のもとに帰ることでした。ずっと孤独の中にあった私にイエスが出会ってくださった。神との交わりの回復が人との交わりの回復をもたらしました。彼は家族のところに帰ることができるようになりました。イエスがしてくださったことを知らせるためです。しかも彼の証しは家族の中だけにはとどまりません。「それで彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きなことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。」(20) 主イエスは私たちのために「大きなこと」をしてくださり、私たちを「あわれんで」くださいました。私たちにも、一人一人の救いのストーリーがあるはずです。そしてそのストーリーは今も進行中です。私たちの生き方とことばを通して、私を救い生かしてくださっている方を証しするために、主イエスは私たちに出会ってくださったのです。