2022年9月25日礼拝

御国が来ますように  マタイの福音書6章9~13

神が王である国 ・「御国」つまり神の国とは神が王として治めておられるところです。この世界を造られたのは神です。この世界のすべては神の国として造られたのです。私たち人間は神とともに神の国である世界を治めるために造られました。けれども今の世界はそうなっていません。それは人間が罪によって神から離れてしまったからです。自分が王様でいたいからです。人間は神から離れ、神抜きで自分勝手にこの世界を治めようとするようになりました。そこからたくさんの問題が生まれます。今日も争いや差別や貧困はなくなりません。神から離れたことによって、この世界は神の国の姿から離れてしまいました。神はあきらめませんでした。神はもう一度神の国を造るためにイスラエルの民を選ばれました。イスラエルの民も神から離れてしまいました。それでも神はあきらめませんでした。神が最後になさったことは、神のひとり子をこの世界に送ることでした。それは神がこの世界に来てくださったということです。イエス・キリストが人として生まれてくださったのは、私たち一人一人をもう一度神の国の仲間に入れるためでした。イエスによってもう一度神の国が建て直されるときがきたのです。

 

イエスによって ・イエスは人々の病気を治し、悪霊を追い出す奇跡を行われました。それは神の国が来たことを私たちに示すためでした。もう一度すばらしい神の国を造るために、イエスは弟子たちを選び、神の国の生き方を教えました。ただ神に信頼して神に従う生き方が神の国の生き方です。イエスは呼びかけます。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:14) 悔い改めるとは神の方を向くことです。神の方を向くと、神の国が見えます。私たちの中には神が王だと認めようとしない罪があります。イエスは私の罪を赦すために十字架にかかり、私たちに新しいいのちを与えるためによみがえってくださいました。イエスは今日も私たちに問いかけておられます。あなたは神の国の一員として生きていきますか? それともこれからも自分を王様にして生きていきますか? イエスを信じるとは、イエスが王である神の国の民として生きていくことです。クリスチャンになるとは神の国の生き方を始めるということです。洗礼は神の国の入会式です。

 

 

神の国は必ず完成する ・イエスは「御国が来ますように」と祈るように言われました。それは神の国はまだ完成していないからです。神の国が完成するときは必ず来ます。だから私たちは今日も祈ります。毎週の礼拝で、毎日の生活の中で祈ります。神の国が完成しますように。神の国が完成するときまで私たちを守ってください。そのときまで、教会を強めてください。神の国の完成の邪魔をしようとする悪の力を打ち砕いてください。神の国は必ず完成します。それはイエスがもう一度こられるときです。よみがえられたイエスは天に上られました。イエスがもう一度この地上にこられるとき、神の国は完成します。その日まで、神の民は「御国が来ますように」と祈り続けます。そして今日もまた、神の国の完成目指して歩んでいくのです。今日という日を通して、神の国は一歩ずつ完成に近づいているからです。