2022年10月30日礼拝

万軍の主はわれらとともに  詩篇46篇

・宗教改革者カルヴァンは「すべての人は神を知るために生まれた」と言いました。大切なことは、神をどのような方として知るかです。

苦しみを通して ・「神は われらの避け所 また力。/苦しむとき そこにある強き助け。/それゆえ われらは恐れない。/たとえ地が変わり/山々が揺れ 海のただ中に移るとも。」1-2)神の民であるイスラエルは時に、彼らをを根底から揺るがすような苦しみを経験しました。それはまず外国からの攻撃です。しかしイスラエルの民は苦しみを通して、神が自分たちとともにいてくださる主であると知ったのです。「川がある。その豊かな流れは 神の都を喜ばせる。/いと高き方のおられる その聖なる所を。」4)イスラエルの民はエルサレムの神殿で主を礼拝することを通して、どんな苦しみのときにも主はともにいてくださると信じることができました。エルサレムは大きな川はありませんが、豊かな地下水が流れる場所でした。聖書の中では多くの場合、水の流れは神の祝福の流れをあらわします。豊かな水の流れのように、主がともにおられる祝福と喜びは苦しみの中でも消えることはありません。イエス・キリストは私たちのために十字架で苦しまれました。私たちの苦しみの中に、この世界の苦しみの中に主は今もともにおられます。私たちも苦しみを通して、ともにおられる主を知ります。

 

主は先頭に立って 「国々は立ち騒ぎ/諸方の王国は揺らぐ。/神が御声を発せられると/地は溶ける。万軍の主はわれらとともにおられる。/ヤコブの神はわれらの砦である。」6-7)イスラエルの民はつねに、まわりの国々の戦争や侵略の影響を受け続ける中で、神を万軍の主として知りました。「万軍の主」は神の特別な名前です。主がイスラエルの先頭に立って戦ってくださる神であるということです。イスラエルの民は主のうしろで万軍の主とともに戦うのです。私たちにも戦いがあります。私たちを神から引き離そうとする力が働く悪魔の力との戦い、そして自分自身の罪との戦いです。私たちの万軍の主、それはイエス・キリストです。イエス・キリストは罪と死の力と戦われ、十字架の死とよみがえりによって罪と死の力に勝利してくださいました。私たちもまた万軍の主とともに戦うためです。

 

 

世界中が主を知る 「来て 見よ。主のみわざを。/主は地で恐るべきことをなされた。」8)まず必要なことは、主の救いのみわざを見ることです。イスラエルの民は主の救いのみわざを、主を礼拝することによって思い起こしました。「やめよ。知れ。/わたしこそ神。/わたしは国々の間であがめられ/地の上であがめられる。」10)神のご計画は、イスラエルの民だけが主の救いのみわざを見ることではありません。世界中のあらゆる国の人々が主の救いのみわざを見て、主こそ神であるとほめたたえるようになることが、歴史のはじめからの神のご計画でした。イエス・キリストによって、世界中の人々に主の救いのみわざは示されました。万軍の主は私たちとともにおられ、ともに戦われます。それは私たちを通して、世界のあらゆる人々がイエスは主であると知るためなのです(マタイ28:20)。