2022年12月25日礼拝

神が近づく・神に近づく  ルカの福音書2章8~16節

神が私たちに近づく ・まずイエス・キリストの降誕は、神が私たちに近づいてくださった出来事です。救い主が生まれた知らせを最初に聞いたのは、エルサレムの宗教指導者たちでも、ローマの役人でもありませんでした。聖書に名前も書かれていないような野原の羊飼いたちです。神が選んで近づいてくださったあの羊飼いたちは完璧な人でも特別に優れた人たちでもありません。どれだけ聖書が約束する救い主について知っていたかもよくわかりません。もっと救い主について聖書について知っている人ならいくらでもいたはずです。でも、神が選んでくださった人たちです。ベツレヘムの町の外にある野原で、夜も羊の世話をしていた羊飼いの所に天使が現れました。羊飼いたちにとっても、天使が現れることはありえないようなことでした。だからひどく恐れたのです。神のすばらしいニュースを知らせるために、天使はあえて野原の羊飼いの前に現れました。羊飼いは救い主イエス会いに行きたくても会いに行けない人たちです。そして誰も羊飼いを誘うことはしなかったでしょう。そんな羊飼いたちに、神ご自身が最初に知らせたのです。救い主イエスが生まれたことは「この民全体に与えられる、大きな喜び」(10だと天使は語っています。そして実際にその通りのことが起こりました。

 

平和 ・天使が羊飼いに知らせを告げたとき、「天の軍勢」は賛美の歌を歌いました。「いと高き所で、栄光が神にあるように。/地の上で、平和が/みこころにかなう人々にあるように。」14)では、みこころにかなう人って誰でしょうか。まじめに生きている人でしょうか。ここでいう「みこころにかなう人々」とは神が救い主の知らせを告げた人、つまり救い主の知らせを聞いたすべての人のことです。 ・イエスは平和をもたらす救い主です。当時の社会では、救い主とは解放してくれる指導者のことでした。ですから当時はローマ皇帝が救い主と呼ばれたりもしていましたつまり武力により平和をもたらすのが救い主だとけれども昔も今も武力によっては本当の平和は来ません。平和を壊すのは何か、それは国同士の争い以前の何かです。平和を壊すものは戦争以前に、私たち人間の中にある罪です。赤ちゃんとして生まれた救い主イエスは武力でもお金でもなく、愛によって平和をもたらす救い主です。

 

 

私たちが神に近づく 同時に、クリスマスは私たちが神に近づく出来事です。神は私たち一人一人が救い主に出会う道を用意してくださっています。羊飼いにとってはベツレヘムの飼い葉桶、東方の博士たち(マタイ2:111)にとっては夜空に輝く大きな星でした。みなさんだったらどうするでしょうか。羊飼いたちは天使の知らせを聞いたとき、もう夜中ですから、仕事中ですからと、そのまま野原にとどまっていることもできたのです。けれども彼らはすぐにイエスに会いに行きました。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」15)クリスマスは神に近づくときです。それはまず神の側から私たちに近づいてくださったからです。私たちは今日救い主のよき知らせを聞きました。だから今日が神に近づくときなのです。