2022年11月6日礼拝

信仰の生涯を進め      ヘブル人への手紙12章1~2節

多くの信仰者の証し  ヘブル書は1世紀後半の特にユダヤ人クリスチャンたちに向けて書かれた手紙です。教会への迫害が始まる中で交わりから離れていく人たちがおり、教会には誤った教えが入り込んできていました。前の11章は聖書の中の多くの人物について語ります。アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、遊女ラハブ…彼らははるか以前にすでに天に召された人々です。決して完璧な人たちではありませんでした。共通しているのは信仰の生涯を全うしたことです。「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、」(1)これは競技場のイメージです。観客席に大勢の人が集まって応援している。選手たちは応援に励まされて自分たちのベストを尽くします。選手は当時のユダヤ人クリスチャンたちです。彼らが今味わっている困難は彼らが初めて味わうものではありません。過去の信仰の先輩たちも苦しみや困難を味わい、失敗することも神から離れそうになったこともあった。そして様々な経験の中で、主により頼んで生きるしかないように変えられたのです。信仰の生涯は自分ではなく、主により頼んで生きる生涯です。信仰の証人たちがいることを思い起こすのは、私たちもまた信仰の証人として生きるためです。

 

前に進み続けるために 「私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(1)<走る>の意味するところは前に進むことです。神に信頼して生きる生き方において一歩一歩前進すること。信仰の生涯を前に進み続けるために必要なことは。重荷とまとわりつく罪を捨てること。それは言い換えれば私たちの古い自分自身を脱ぎ捨てることです。神抜きで自分を神として生きようとする、古い自分自身の罪の性質が、信仰のレースを前に進み続けることを妨げているからです。古い自分を背負ったままでは前に進めません。聖霊の助けによって、古い自分を脱ぎ捨て、新しい人として日々生きることこそが前進のための道なのです。

 

 

イエスから目を離さない 「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(2)信仰の生涯を全うするために大切なことは、イエスから目を離さないでいることです。イエスこそただ一人、信仰の生涯を完全に走り抜けた方だからです。「この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。」(2)十字架への道は苦難の道です。けれどもイエスは十字架への道を、いやいやながら我慢して歩んだのではありません。イエスはご自身の前に「喜び」を見ていたからです。それは「神の御座の右に着座」喜びです。そこにすべてにまさる栄光のゴールがあり、私たちが神に近づく道があるからです。私たちも同じ栄光のゴールを目指します。しかもイエスは聖霊によって私たちとともに走り続けてくださるのです。だからどんなときもイエスから目を離さないでいましょう。聖霊の助けをいただきながら信仰の生涯を全うすること。そこにそして次の世代につながる信仰の証しが残されていくのです。