2022年10月16日礼拝

金や銀にもまさって  エズラ記8章24~36節

主の聖なるもの ・エズラは12人の祭司長を選びます。彼らにゆだねられたのはこれからエルサレムに運ぶ金や銀や器の監視と管理です。銀25トン。金3トン以上、銀の器も3トン以上。いかに当時のペルシア帝国が豊かであったかがわかります。エズラは祭司長たちに「あなたがたは主の聖なるものである」(28)と告げました。聖とは<ほかのものとは区別される>という意味です。聖なる方は誰よりも神ご自身です。祭司長たちが「主の聖なるもの」であるのは聖なる方である神が特別に選んでくださったからです。つまり「主の聖なるもの」とは、神が特別な目的のために取り分けてくださったということです。そして彼らが管理する金や銀や器もまた聖なるものです。神の特別な目的のために取り分けられたからです。 ・目を留めたいことは、私たちも、イエス・キリストによって「主の聖なるもの」とされました。イエス・キリストを通して、旧約のイスラエルの民と同じ神の民とされました。神の特別な目的のために取り分けられたということです。私たちはイエス・キリストを通して祭司の民です(Ⅰペテロ2:9)。私たちがきよいからではありません。罪のない方であるイエス・キリストが十字架で流された血潮、ささげられたいのちによって、私を罪からきよめてくださり、私を「聖なるもの」としてくださったからです。私たちに与えられた特別な目的は、私たちを通してこの世界が神を知ることです。ゆだねられているのは金や銀以上のものです。わたしたちにゆだねられているつとめは、私たちを闇から光の中に召してくださった方の栄誉を世界に告げ知らせることです。

 

主の特別な守り ・エルサレムまでの旅は何十トンもの多くの金や銀を抱えて、子どもたちとともに数ヶ月の大移動をするのです。しかも軍隊の守りがない中での旅です。彼らにとって大きな信仰のチャレンジだったでしょう。問われているのは主の守りに信頼できるかどうかです。「私たちの神の御手が私たちの上にあり、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から私たちを救い出してくださった」(31)金銀や器はすべて、敵の手、待ち伏せする者の手から守られ救い出されました。 私たちにも主の特別な守りがあります。敵の手は、私たちがキリストを伝えることの邪魔をしようとするでしょう。けれども神は私たちに御手を置いてくださる方です。私たちにゆだねられた金や銀にもまさる使命のためには、主の特別な守りがあるのです。

 

主のものとされているから ・金や銀は盗賊や敵から守られ、無事エルサレムまで到着しました。「捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のささげ物を献げた」(34) 運ばれた金や銀は、主にささげるささげもののために用いられました。雄牛、雄羊、子羊、雄やぎの「全焼のささげもの」が示すのはまったき献身です。私たちにとってこれらの動物があらわすのはイエス・キリストです。イエス・キリストは私たちのために、雄牛や雄羊、金や銀にもまさるささげものとしてご自身をささげてくださいました。私たちはキリストにあって、聖なるものとして召しされ、主の特別な守りの中にいます。私たちは主のものです。だから感謝とともに私たち自身をささげるのです。