2021年5月16日礼拝

変わらない約束を信じて   詩篇132篇11~18節

主の臨在は主の支配 ダビデは主がエルサレムに住んでくださることを願い求めてきました。主はダビデの願いを聞いてくださいました。主がご自身の民の中に住んでくださるとき、何が起こるのでしょうか。「あなたの身から出る子を あなたの位に就かせる。」11)これは主がアブラハムに与えてくださった約束でもありました(創世記17:6-8)主はこの地上に平和をもたらすために、ダビデと彼の子孫を王家として選んでくださいました。これはすばらしい特権です。そして特権は責任を伴います。「もし あなたの子らが わたしの契約と/わたしが教えるさとしを守るなら/彼らの子らも とこしえにあなたの位に就く。」12)主のことばに聞き従うこと。これが一番必要なことでした。主は私たちをイエス・キリストにおいて私たちを新しい神の民として選び、ご自身の住まいとしてくださいました。私たちを通してこの世界を治めてくださるためです。私たちにとっても必要なことは、聖霊の助けによって主のことばに聞き従うことです。

 

主の臨在は主の祝福 主が住まわれるところには祝福があります。「わたしは豊かにシオンの食物を祝福し/その貧しい者をパンで満ち足らせる。/その祭司たちに救いをまとわせる。/その敬虔な者たちは高らかに喜び歌う。」15-16)どれも神の民になくてはならないものです。そしてこれらの祝福はどれも初めて聞くことではありません。イスラエルのこれまでの歩みの旅の中でも、祝福はすでに与えられ続けていました。一人一人がみことばに従うなら、主はともに民の中に住み、さらに豊かに祝福を注いでくださる方です。主は私たちにも救い、喜びの賛美、日々のいのちの糧の祝福を与え続けてくださっています。私たちが何かをしたからではなく、主が私たちの中に住み、王として治めてくださることによって与えられる祝福なのです。私たちには毎日イエス・キリストによる救い、喜びの賛美、いのちの糧が必要です。だから毎日主の臨在を祈り求めるのです。主がおられるところには、救いと賛美といのちの祝福があります。

 

 

主の約束は変わらない イスラエルの王とイスラエルの民に必要なことは神のことばに聞き従うことでしたが、その後のダビデの子孫は主のことばに聞き従わなかったためイスラエルの王国は滅ぼされてしまいました。けれども「主が取り消すことのない真実」はそれでもなお変わりませんでした。「そこにわたしはダビデのために/一つの角を生えさせる。/わたしに油注がれた者のために/ともしびを整える。/わたしは彼の敵に恥をまとわせる。/しかし 彼の上には王冠が光り輝く。」(17-18)主はダビデの子孫からもう一度王を起こしてくださいます。それは神ご自身が、人となって生まれてくださることによってでした。主の変わらない約束はイエス・キリストによって実現しました。主の真実な約束は変わりません。私たちに必要なことは変わらない主の約束を信じて生きることです。人の力でできることではありません。罪との戦いがあります。過ちを犯すこともあります。けれども主に立ち返るならやり直すことができるのです。主はキリストの御霊によって私たちのすべてを治め、祝福を注いでくださる方です。聖霊の助けによって、変わらない主の約束を信じて歩んでいきましょう。