2021年10月3日礼拝

安心よりも信頼   ヨシュア記 171418

神は分け隔てをなさらない方 ・カナンの地はくじでイスラエルの部族ごとに分けられました。「ヨセフ族(エフライム族とマナセ族)」は他の部族の倍の祝福を受け、子孫の数も多かったようです。「ヨセフ族はヨシュアに告げた。『あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほど数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。』」14彼らは数が多いことを理由に、カナンの地でももっと広い土地を受け継ぐことを要求しました。彼らがくじによって割り当てられた山地はそのままでは、住む場所が限られています。けれどもヨシュアは彼らにもう一度くじを引く権利を与えませんでした。「あなたが数の多い民であるのなら、森に上って行きなさい。そこでペリジ人やレファイム人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」15数が多いのだから自分たちを優先してほしい、数が多いなら要求も多くて当然、それは神の国の考え方ではありません。むしろ数が多いということは、それだけ多くのものが神から与えられ、多くのものが任されているということです(ルカ12:48)。人と比べてうらやましく思ったり、不公平に感じることがあるかもしれません。けれども、神は分け隔てをなさらない方です。これは賜物にも言えることです。神は私たちにそれぞれふさわしい賜物を分け与えてくださる方です。そして私たちの賜物は私たち個人ではなく、キリストのからだである教会において、私たちが互いに仕え合い成長するために与えられた賜物なのです(1ペテロ4:10

 

 

主への信頼 ・彼らはヨシュアのことばに納得できずさらに訴えます。「山地は私たちに十分ではありません。しかし、平地に住んでいるカナン人はみな、ベテ・シェアンとそれに属する村々にいる者も、イズレエルの平野にいる者も、鉄の戦車を持っています。」16)彼らの姿はヨシュアやカレブとは対照的です。ヨシュアやカレブが勇敢であったのは彼らが強いからでも数が多いからでもなく、主の約束に信頼したからです。主は彼らとともにおられます。にもかかわらず、彼らは山地や鉄の戦車を恐れています。主がともにおられることが見えなくなっていることが問題なのです。約束の地に入れば終わりではありません。彼らはその地でさらに成長する必要がありました。食べ物や水のない荒野では、神から心が離れてしまう誘惑がありました。反対に、約束の地では、民の数や土地の広さといった、目に見えるものを手に入れて安心したいという誘惑があるのです。「あなたは数の多い民で大きな力がある。あなたには、くじによる割り当て地が一つだけではいけない。山地もあなたのものとしなければならない。それが森だとしても切り開いて、その隅々まであなたのものとしなさい。カナン人が鉄の戦車を持っていても、強くても、あなたは彼らを追い払わなければならない。」17-18)ここで言われているのは目に見えるもので安心しようとするのではなく、主に信頼せよということです。目に見える保証によって安心したいという思いは誰にでもあります。けれども、その安心はいつかは取り去られるものです。地上を旅する神の民に必要なのは、安心よりも信頼です。私たちにとって一番必要なことは、目に見える何かを手に入れて安心することではなく、主に信頼することなのです。