2023年2月12日礼拝

大きな救いのわざ   ヨハネの福音書14章11~14節

救いのわざ ・イエスは十字架に架かられる前夜、弟子たちのもとを去って行くことを告げました。今弟子たちが信じる必要があったことは、イエスは天の父とひとつである神ご自身であるということです。「わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。」(11)イエスの「わざ」とはひとことでいうなら<救い>です。イエスの奇跡のわざは神の救いがこの世界に来たことを示すしるしでした。イエスは十字架への道を歩まれ、復活して天に上げられます。これからは、イエスがなさった救いのわざを弟子たちが行うようになります。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです」(12)。 「さらに大きなわざ」とはこれからはじまる世界宣教のことです。イエスはこれから弟子たちに聖霊を与えます。弟子たちは聖霊の力によってこれからイエスよりも広い地域に出て行き、多くの人々や民族に十字架と復活のイエスを伝えるようになります。この<大きな救いのわざ>によって、私たちは救われイエスの弟子とされました。私たちもイエスを信じるなら、この世界に十字架と復活のイエスを伝える聖霊の力が与えられます。なぜ教会はイエスを伝え続けるのか。イエスの十字架にこそ、罪の赦しと神とともに生きる永遠のいのちの道があるからです。

 

 

イエスの名によって祈る イエスの救いを世界に伝えるために弟子たちに必要なのは祈りです。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。」(13-14)イエスの弟子にとって、祈りとはイエスの名によって祈ることです。イエスは父とひとつである神ご自身です。だからイエスの名による祈りは聞かれます。イエスの名による祈りには力があります。けれどもイエスの名によって祈ることは、イエスの名前を利用して願いを叶えてもらうことではありません。イエスの思いとともに祈ることです。イエスの思いとは何でしょうか。それはイエスによって天の父が栄光をお受けになることです。弟子たちがイエスを伝え、人々がイエスを信じ神をほめたたえるようになるとき、神は栄光をお受けになります。弟子たちはこれまで自分の栄光、自分の名誉を求めてきました。けれどもイエスの思いは父の栄光です。だから弟子たちもそのように変えられていくのです。聖霊は弟子たちにイエスを伝える力を与えると同時に、弟子たちが神の栄光を一番の喜びとするように造り変えます。十字架と復活のイエスをこの世界に伝えることは私たち自身の力でできることではありません。だから何でも、イエスの名によって求めてよいのです。イエスは父とひとつである神ご自身です。私たちはまずイエスの十字架と復活いう<大きな救いのわざ>によって救われました。イエスを信じる者には、イエスの救いのわざを行う力が与えられます。キリストのからだである教会の民として、ことばと生き方によって十字架と復活の主イエスを伝えること。これが今私たちに託された<大きな救いのわざ>なのです。