2021年6月20日礼拝

神の国の前進       ヨシュア記10章15~30節

主が語られたとおりに ヨシュアとイスラエルの民は、五人の王たちとその連合軍との軍隊との戦いで、敵を攻撃し追いつめます。主が不思議なみわざ(雹の石、日を長くする)を主が行ってくださったからです。五人の王たちは洞穴に隠れますが、居場所を知られてしまいます。ヨシュアはイスラエル軍に、なおも敵を追って攻撃を続けるように命じます。ヨシュアは状況だけを見て攻撃を命じたのではありません。主の約束があったからです。「主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ」19主がヨシュアに語られた通りです。決断力、指導力以前に、ヨシュアは主のことばを信じきって従うことができるリーダーでした。主が語られたとおりに、敵は打ち破られました。これまでカナンの地は悪の力に支配されていた地でした。偶像礼拝と不道徳が満ち満ちていました。戦いに勝利したことは単に領土が広がったということではなく、悪に支配されていた地に神の国が訪れたということです。 ・私たちもイエス・キリストを通して神の民とされました。ですから、私たちにも戦いがあります。人や国ではなく、目には見えない悪しき力との戦いです。悪の力はこの世界で、神抜きの価値観を通しても働いています。そして私たち自身の古い罪の性質は神抜きの価値観の影響を受けやすくなっています。聖書のみことばに聞き続けなければ違いがわからなくなってしまう。だから私たちには日々神のことばが必要です。聖書を通して神がなにをしてくださったのか。私たちをどのように変えてくださったのか。これからどのように導いてくださるのかを、聖霊の助けによって聞き続けましょう。神の国は主が語られたとおりに前進するのです。

 

主に信頼する民を通して 王たちは捕らえられ、処刑されます。「ヨシュアは彼らに言った。『恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵に主がこのようにされる。』」25恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。これはヨシュア記の最初、ヨルダン川をわたる前に、主が新しいイスラエルのリーダーとなったヨシュアに語られたことばでした。これからも戦いは続くでしょう。神の民には強さが必要です。けれども、敵の五人の王たちのような、自分の力を誇る強さではありません。神のことばに信頼して聞き従う強さです。私たちは弱くなることがあります。また人や状況は変わります。けれども主はどんなときも私たちとともにおられます。人や状況に信頼するのではなく、どんなときも主に信頼すること。これが私たちに必要な強さです。イスラエルの民にとって、五人の王たちと軍隊は自分たちよりも遙かに強く見えたでしょう。同じように、悪魔の力は私たちよりもはるかに強く、私たちは自分の力では戦うことができません。そのような中で、主は私たちに「恐れてはならない」と語られます。主イエスは十字架と復活によって、悪魔の力を「踏みつけ」ておられるからです。神の国の完成の日まで、主は私たちのために、私たちとともに戦われます。どんなときも主に信頼して、神の民として、ともに神のことばに従っていきましょう。神の国は今日も主に信頼する民を通して前進するからです。