2022年8月28日礼拝

安息から安息へ  へブル人への手紙4章1~11節

救いは安息 ・「こういうわけで、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。神の安息に入るための約束がまだ残っているのに、あなたがたのうちのだれかが、そこに入れなかったということのないようにしましょう。」1)前提となっているのは、旧約のイスラエルの民の出エジプトから約束の地に至る歩みのことです。彼らにとって救いとは神の安息の地に入ることでした。つまり、「安息に入る」とは<救われる>ということです。ところが残念な事実が告げられます。「けれども彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです。信じた私たちは安息に入るのですが、「わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない』」と神が言われたとおりなのです。」(2-3)イスラエルの先祖たちは安息の地に入れなかったということです。彼らが聞いたみことばに信仰によって聞き従わなかったからです。安息の地に入るために必要だったのは信仰だけです。けれども彼らにとっては神の目に見えない恵みよりも、目に見えるもの、手に入れた何かの方が安心だったのです。救いは神からの贈り物です。必要なことは救いを神の贈り物として信頼して受け取ることです。

 

救いは進行中 ・当時迫害の中にあった教会に励ましが語られます。「ですから、その安息に入る人々がまだ残っていて、また、以前に良い知らせを聞いた人々が不従順のゆえに入れなかったので」(6<安息に入る人はまだ残っている>、つまり救いの約束はまだ残されているということです。世界のはじめから、神は救いのご計画を持っておられ、今も進行中です。私たちの救いも進行中です。イエス・キリストを信じる信仰を告白して洗礼を受けたことは救いの始まりです。「神は再び、ある日を「今日」と定め、長い年月の後、前に言われたのと同じように、ダビデを通して、『今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない』と語られたのです」(7神は今日私たちにみことばを語られ、今日安息/救いに招いておられます。みことばに応答するのはいつでも今日です。神から離れていたなら、今日立ち返りなさい。神を心から信頼していなかったなら、今日心から信頼しなさいと、神は呼びかけておられます。

 

 

永遠の安息を目指して ・私たちは安息の時、日々のわざを休んで、神と過ごす時間を毎週必要としています。人はそのように造られたからです。そして毎週の安息は永遠の安息に続きます。イエスがもう一度こられるとき、救いを完成してくださるときが永遠の安息です。「神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか。」9-10)ここにあるのは励ましであると同時に警告です。主が救いを完成してくださる日まで神から離れてしまうことがないように。私たちの中で救いを始められた神は必ずこの救いを完成させてくださる方です。今日みことばに応答することは永遠につながる意味を持ちます。私たちは永遠の安息を目指して、互いに励まし合いながら、今日からともに歩んでいくのです。