2022年2月27日礼拝

私は聖徒の交わりを信じます   ヨハネの手紙第一1章1~3節

教会の交わりは神との交わり ・使徒信条は教会を「聖徒の交わり」を言い表します。「聖徒」とは特別に立派なきよい人のことではなく、イエス・キリストを通して神が選び集てくださった私たち一人ひとりのことです。イエスの弟子のひとりヨハネもそうです。「御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。」(2) 彼はイエスに呼ばれ、この方こそ永遠のいのち、いのちのことば、つまり人となられた神ご自身であるであると知りました。イエスに出会って、ヨハネの人生は変わりました。だからヨハネがイエスに出会ったように、今も生きておられるイエスに出会ってほしい。イエスといっしょに歩んでほしい。それがヨハネの何よりの願いでした。だからヨハネはこの手紙を教会に向けて書いたのです。 ・イエスに出会って、イエスといっしょに生きること。このことをヨハネは「交わり」ということばで言い表します。「交わり」はもともとは<共有する>という意味です。「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」(3)教会の交わりとはまず父・子・聖霊の神との交わりです。「交わり」は私たちがイエス・キリストとひとつにされることによって実現しました。イエス・キリストと私たちがひとつになることを、イエスはぶどうの木とぶどうの枝にたとえられました。ぶどうの枝が木に結ばれているように、私たちはイエスもいのちに結ばれたのです。だから私たちのいのちはイエスのものです。そして私たちの中に生きて働いているのはイエスのいのちです。同じイエス・キリストに結ばれていること。これが私たちの交わりの土台です。

 

教会の交わりは分け合う交わり ・「私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。」3)教会はイエスに出会うところです。教会はイエスとともに生きるところです。教会はイエス・キリストのいのちに結ばれたイエスのからだです。教会を離れてイエスとともに生きることはできません。教会の交わりは分け合う交わりです。同じキリストに結ばれることによって、私たちは同じ洗礼、同じ主の食卓、同じ聖書のことばを分け合います。そこに聖霊が働かれるからです。もちろんひとりひとりには違いはあります。でもイエスに出会って、イエスに結ばれて、イエスといっしょに生きていきたい、イエスを伝えたい、その思いは同じはずですね。また私たちには、同じ聖霊によって、ひとりひとりに賜物が与えられています(Ⅰコリント12:4-7)。同じ神に仕え、「皆の益となる」ためです。つまり、賜物を分け合って助け合い、支え合うことができるということです。ここに聖徒の交わりがあります。今日は礼拝の後、教会の年に一度の会議である総会が開かれます。私たちはまず礼拝で、同じみことばによって、同じキリストのいのちと恵みを分け合って、その上ではじめて会議があります。教会はイエス・キリストを通して、聖霊によって、神との交わりに生きます。また教会は、神から与えられたすばらしい賜物を分け合う交わりに生きます。そのことを通して、私たちはこの一年<主の証しに生きる>のです。